築地本願寺はもともと、日本橋横山町あたりにあったそうですが、明暦の大火により焼失、元の土地での再建は許されず、八丁堀の海上を再建の地として幕府から与えられました。
(江戸土産 築地本願寺) 初代広重
(京橋図書館資料より)
「門跡橋」は、晴海通りの築地川南支川に架かっていた橋で、御存じの方も多くいらっしゃる事でしょう。
橋の銘板が「善林寺」の横に残っています。
善林寺と小田原町交番の間に架かっていました。
手前が門跡橋で、奥が備前橋。門跡橋の左側の「第六分団」の倉庫の看板が懐かしい。
(京橋図書館資料より)
築地というと「西本願寺」の再興に当たり、佃島の漁師たちの手により埋め立てられ、築かれた町という事は、今ではとても有名な話です。埋め立てられてから354年経ちました。
(中央区立京橋図書館資料画像より)
関東大震災前の築地本願寺。
本堂は今の門跡通り(場外市場)の方を向いていました。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 |
最近のコメント