今は、「東京メトロ」の愛称で知られていますが、開業当時は「帝都高速度交通営団」、略して「営団地下鉄」が運営する路線でした。
当初は”S”をデザインしたマークでした。
営団地下鉄のマーク。(恵比寿駅) (Wikipediaより)
メトロに変ってからは”M”をデザインしたマークに変更されました。
現在の東京メトロのマーク
日比谷線は、まず昭和36年(1961)南千住 - 仲御徒町間(3.7km)が開業し、その後次第に延伸し、昭和38年(1963)2月28日に人形町ー東銀座間が開業しました。もう、50年も昔の事です。
この時に「築地駅」もオープンしました。
昭和38年2月27日の「東銀座駅」での開業式。
(中央区フォトギャラリーより)
都電36系統は昭和46(1971)年3月17日に廃止されるまで、築地と錦糸堀(今の、錦糸町駅前)を結んでいた都電でした。
末期の36系統。終点「築地」の停留所。
ここで折り返すので、行き先の方向幕は「水天宮錦糸堀」
今の平成通り「植むら」前。 (中央区フォトギャラリーより)
新橋演舞場周辺から、築地にかけて料亭があります。
お座敷に声が掛かると芸者さんが人力車に乗って出掛けて行きました。
銀座7丁目 新橋組合に集まる人力車。
ここから車夫が置き屋や自宅に芸者衆を迎えに行く。
よく見ると、駐車禁止の横の看板に「人力車を除く」と書いてある。
時代が感じられて面白い。
(京橋図書館資料より)
「門跡橋」は、晴海通りの築地川南支川に架かっていた橋で、御存じの方も多くいらっしゃる事でしょう。
橋の銘板が「善林寺」の横に残っています。
善林寺と小田原町交番の間に架かっていました。
手前が門跡橋で、奥が備前橋。門跡橋の左側の「第六分団」の倉庫の看板が懐かしい。
(京橋図書館資料より)
小学校に通う時、近所の決まったエリアの1~6年生が一緒に登校することを「班登校」と呼んでいました。
子供が少なくなった今ではもうできませんし、「ことば」自体ももう忘れられています。
(京橋図書館資料より)
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