「いよいよ名前が決定!」
築地の場外市場に建設が続いている「鮮魚マーケット」が「築地 魚河岸」という名称に決まったそうです。
場内市場が、豊洲に移転し、「東京都中央卸売市場 豊洲市場」という名称に決まったので、「築地 魚河岸」を名乗るのは、築地に残って営業される業者の方にとっては、もっともな名称だと思います。
という事は、豊洲は「豊洲 魚河岸」となるのでしょうか?
聞きなれないのでチョット違和感があります。
80年もこの地で営業してきて、「日本橋 魚河岸」の気風を受け継いできた築地市場は、メインの部分は「豊洲」に移りますが、新しい独自の「食の街」としてのスタートを切るのでしょう。
但し、卸売市場は「豊洲」であって、築地は「小売市場」という事になります。
小生の店は、場内でも場外でもないので、俯瞰して感じた事を書いてみますと、最初の移転話が起こった時、場内では現在地再整備が始まっていました。
工事用のスロープが勝どき門を入ったところから建設され、船着き場も拡大されました。
スロープは撤去されましたが、岸壁の屋根の上には取り付け道路の跡が今も残っています。
石原さんが都知事になって、「築地は、危なくて狭くて汚い!」というスローガンのもと、移転が決定していったような記憶があります。
小生は、東京都が築地の跡地を売りたいが故のスローガンだと思っていました。
何しろ当時、築地の跡地を売れば、豊洲移転と、建物まで建ててお釣りがくるぐらいの事を言っている人が、結構いました。
実際の所は、東京ガスの跡地は、土地の改良をしなければならないほどの、土壌汚染がひどい土地でした。
豊洲用地は、第二次世界大戦中は「化学工場」だったわけで、さまざまな化学実験が行われたそうで、色々な化学物質は、敗戦に伴って廃棄され、どこにどういうものがあるかなど、誰もわからない場所になってしまったそうです。
ですから、場内業者たちも、食品を扱う市場の移転先としては、どうしても納得ができない場所だったわけです。
反対運動が長引いて、都側との使いやすいレイアウトの話し合いが充分にされず仕舞で、水産業者の方からは、使いずらい形になってしまったという事をよく聞きます。
実際、水産棟と青果棟の間には環状2号線が平面で走っているので、行き来がとても不便です。
家賃も受益者負担が相当増えるそうで、真新しいフィールドができるのに、そこに明るさが見出しにくい場所になってしまっていて、なんとももったいない気がします。
千客万来施設も、業者の撤退で来年11月の、開場には間に合わないそうです。
また、移転時期にも問題がありそうで、11月ですと、すぐに暮れの商戦が始まるので、対応ができるかどうか不安な面もあるようです。
「築地 魚河岸」という施設の名称が決まったことで、チョット思った事を書きとめてみました。
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