「ブルートレインの終焉」
小学生の時は、「ブルートレイン」と言えば、東海道線の夜行寝台列車がなんと言っても「花形」でした。
学校が終わって、友人と自転車で汐留の「手小荷物受取所」の所によく行っていました。
東海道線を俯瞰できる場所で、安全に列車を見られて、京浜東北線や山手線ともかぶらない、上から見られる場所でした。
ここは今、JRAの馬券売り場になっています。
まず、品川方から、送り込み回送の20系「さくら」が東京駅へ向かって走ってゆきます。
しばらくすると今度は「はやぶさ」「富士」「みずほ」「あさかぜ」と続きます。
当時たしか「さくら」は午後4時半頃の発車でしたので、夏は「あさかぜ」の送り込みまで見ていたような記憶があります。
当時の「東京機関区」や「品川の客貨車区」へも自転車で何度か通ったりしていました。
東京機関区には、EF65-500、EF10、EF15、EF58、などがゴロゴロといて、たまにEF66やEH10などがいました。
EF65-500 (鉄道博物館にて)
そして、クラにはたいてい「お召し列車」を引くために作られた茶色の「EF58-61」がいました。
その頃は、入り口で許可をもらうと、たいてい見学は自由にできたので、今のような規制は一切無い、のどかな時代でした。
品川駅寄りには、たくさんの「ブルートレイン」の客車が留まっていて、ヘッドマークの違いを見るのが楽しみでした。
当時は、20系ばかりでしたが、高学年になった頃には、14系も出てきていました。
20系は東海道線に新型の客車が配備されると東北線や常磐線に移り、「はくつる」や「ゆうづる」に転用されて行きました。
「ブルートレインブーム」が起こった頃は、あまり鉄道にも興味が無かった頃でしたので、その頃のことはあまり記憶がありません。
時代が変わり、東海道線からは「ブルートレイン」が消え、東北線からも消えてしまいました。
いま、定期列車で残るのは「寝台電車」の「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」だけになってしまいました。
「豪華寝台列車」は不定期で運行されるものがありますが、「夜汽車」の旅が気軽にできた時代はそれなりに情緒があって、不便さはあっても「良い時代」だったのかもしれません。
「北斗星」の定期運行が終わって、「国鉄」という時代も本当の意味で終わったような気がしました。
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