「千社額のはなし」その2
親子3代続く東京の寿司屋さんですが、大阪万博が終わった頃、築地はまだ景気がよく、鮪屋さんと小物屋さん(主にマグロ以外の寿司種を扱っている店)が先達をしてくれて、ウチで作らせた頂いた物だそうです。
まだ小生は学生でしたので、納品の手伝いにも行っていない頃の話でした。
ケヤキで作られた千社額は当時でももう珍しく、まして縁周りに魚介の彫刻が入っている物だというのです。
よほど仲卸にも良いお客さんだったようで、この様な上物を贈られたようです。
こちらの旦那も3代目が店を継ぐ事になってから、店を改装して、改めて「千社額」をお客さんからよく見える場所に飾ったそうです。
一時はあまり興味を持たれなくなった「千社額」ですが、最近とても興味を持って見て下さる方が増えて来て、色々と質問されるそうです。
こうなれば2代目の出番だそうで、当時を懐かしく語られているようで、こちらとしても嬉しい限りのお話でした。
贈り名前の中にはもう廃業してしまった仲卸さんや、取引が無くなってしまっている店舗もあるそうですが、こちらの旦那は、贈ってもらった当時の物をそのまま残し、札の差し替えは考えていないようでした。
よく、取引先が変わったので札を新しく何枚か差し替える事もありますが、小生としてもケヤキ製なので、余計にそのままの方が良いとお話しました。
今でも長く大事にして下さる方がいて、千社額は一生物だと改めて思いました。
バブル崩壊の頃からだんだん千社額も造らなくなりましたが、それより前の「魚がしマーク」だけの仲卸だけの物は今ではほとんどありません。
ウチでも北は秋田から西は島根まで贈っていたようですが、(海外にも送ったそうです)福島のいわき周辺の物は、東日本大震災で流失してしまった話を聞きました。
また、「千社額」自体も仲卸さん達の商売の仕方も時代と共に変わって来て、今では「魚がし」だけの物はほとんどありません。
地方の寺社にお参りに行く「講」も少なくなって来て、奉納品も個人で贈る以外はなかなか団体では贈れない時代になっています。
「千社札」の愛好会では今も時々「千社額」を奉納しているようですが、個人の店舗向けの物は無くなってしまっています。
戦後、個人店向けに贈る習慣が始まったと聞いていますが、時代と共にこの様な贈り物も変わって行くのでしょう。
築地から豊洲に市場が移転した後の商習慣はどのようになって行くのか、見て行きたいものです。
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