「竹芝の引込み線」
今では竹芝桟橋自体がリニューアルしてしまって、当時の面影は全くありません。
船員や倉庫関係者相手の一杯飲み屋などが軒を連ねていて、どこか怪しい雰囲気がありました。汐留からの貨物列車は何本設定されていたか分かりませんが、竹芝の踏切では確か遮断機が無くて、警手が手を広げて車を止めていた記憶があります。
2~3両しか止められないような日本冷蔵(現、ニチレイ)の枝線があって、白い貨車が停まっていたのを一度だけ見た記憶があります。
その後、その枝線は廃止されたようですが、芝浦駅に向かうDD13の列車を何度か見ました。
(HOゲージのDD13)
浜崎橋の所には「古川跳開橋」があって、当初は列車が来ると下りたらしいのですが、小生が通う様になった頃はもう、下りたままでした。
左が竹芝桟橋側、右が日の出桟橋 (土木図書館資料より)
竹芝桟橋は夏休みには、伊豆七島ブームがあって、連日夜の10時ごろからは浜松町から人がぞろぞろと列をなして東海汽船の乗り場まで繋がっていました。
小生もその中の一人になりましたが、当時はまだ乗船場の前は適当な舗装がしてあるだけの広場で、乗船時間が来るまでそこで待たされていました。
浜松町駅から来る夜道は何故か暗くて、人がいないときは本当に怪しさを感じました。
中学の頃、築地から夜の7時頃からマラソンのトレーニングで、浜離宮の横を通って芝浦までランニングをしに行った事が何度かありましたが、まだ街燈がいくつも無くて、ちょっと怖いような雰囲気でした。
警官に何度か職質された事もありました。
竹芝から日の出埠頭そして芝浦埠頭までは典型的な倉庫街でしたので、バブル時のディスコが芝浦にできるまでは、まだまだ怪しかったです。
その竹芝桟橋も今では綺麗に整備され、東海汽船もジェットホイ―ル船などが就航して近代的な港になりました。
当時の写真はなぜか1枚も無くて、惜しい気がしますが、先日何処かのブログにこの当時の写真が載っていて懐かしく思いました。
もう、30年以上前の思い出です。
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