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2014年9月 3日 (水)

「上野駅の思い出」

「東北の玄関」として知られた「上野駅」ですが、新幹線が東京駅から出発するようになって「北の玄関、上野駅」というイメージが変わりました。

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「ああ、上野駅」に代表される歌謡曲にもあったように、小生の世代には郷愁を感じられる駅です。

祖母の田舎が福島でしたので、小学校の頃には、よそ行きの新品の服を着せられ、初めて乗る「特急電車」に気持ちがわくわくしたものでした。

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485系特急電車「ひばり」  (鉄道博物館にて)

福島まで、今では1時間半程で行けますが、当時は結構かかっていました。

また、逆に親戚が上京する時には迎えに行きました。

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475系急行電車「まつしま」  (鉄道博物館にて)

何故か大叔父はいつも急行「まつしま」に乗って来るので、到着を待つまで地上ホームに停まっている色々な列車を見るのが楽しみでした。

当時、上野だけでしか見る事が出来なかった「キハ81型」の「いなほ」がヘッドマークを「ひたち」に替える作業がとても印象に残っています。

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「キハ81特急気動車」   (鉄道博物館にて)

JRになって、最近の電車は皆同じ顔のように見えます。

国鉄の電車や機関車が好きな身としては、個性のあるこの頃の上野が好きです。

まだ着物を着たお年寄りが沢山いて、改札も駅員が切符を切っていましたので、いつも改札口は賑やかでした。

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上野は改札口の上に出発列車の案内看板が架けられていたので、それを見て、色々な方面に出発してゆく列車の名前を覚えたりしました。

陶器でできた「お茶の瓶」がまだ少し残っていた頃で、何故か「冷凍ミカン」がよく売れていたのを思い出します。

上野の地上ホームは特急電車が引っ切り無しに到着したり出発して行ったりしていました。

通勤時間でもないのにいつも混雑していたのを思い出します。

来年にはブルートレインの「北斗星」や豪華寝台特急「カシオペア」も廃止になるそうです。電気機関車が牽引する列車も見納めになります。

上野駅では、特急電車自体も今では常磐線の「ひたち」と高崎線の「あかぎ」「草津」くらいしか見る事ができなくなりました。

東日本大震災から3年半経とうとしていますが、改めて上野駅は何故か懐かしく感じる「北の玄関」として、小生にはこれからも「心の駅」であると思います。


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コメント

私は昔の上野駅というと、野暮ったいアナウンス、大量の鳩、長距離列車の席取りのため構内で新聞紙を敷いて座っている人、ガムに新聞紙にトイレットペーパーに缶に雑誌に、とにかくゴミがとっちらかった構内や線路がまず思い浮かびます。
文明化の恩恵からか(?)、床に座る人やゴミをそこらに放り捨てる人は滅多にいなくなりました。

同時に思い出すのは、地下や半地下にあった食堂街を思い出します。
2000年頃の全面改装の際になくなったと記憶しますが、いまや壁という壁にテナントが入り、どこが当時の入口かすらわからなくなってしまいました。
おそらく、きれいなテナントのバックヤードや職員用通路に、昔の上野駅がひっそりと生きているのでしょう。
そういえば、食堂だけでなく、靴磨きもいた気がします。
ネットでこれを記している方や映像も少なく、当時の情景は寅さん映画の中で見るしか方法がなくなってしまいました。

通行人さま、たしかに、寅さんでは地下食堂のシーンがありました。改札の看板も懐かしいですね。地下からのスロープだけが当時の面影が残ります。
銀座線の浅草駅はまだ、ドップリ昭和が残るエリアがありますよね。先日ここを通ったらまだまだ怪しいスポットが残っているのが嬉しかったり不思議だったりしました。

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