「東海道新幹線 開業50年」
開業する前から、子供の絵本や色々なおもちゃが発売され、小生も当時の子供として、ワクワクしていたものです。
「夢の超特急”ひかり号”」というタイトルも子供ばかりではなく、大人も魅惑されているようでした
銀座の東京高速道路の横を新幹線が並走するので、父に何度も連れて行ってもらいました。真横を走る新幹線はカッコ良く見えた物です。
当時、今では0系と呼ばれる「ブタ鼻」とニックネームが付けられていた愛らしい形の電車でしたが、まだ「新幹線」と言うだけで、「形式」などは世間に全く知られていませんでした。
白い車体にブルーのラインは、それまでの在来線の色とは全く違い、精悍なイメージと高速で走る別の鉄道と言う感じがして、早く乗って見たい列車でした。
当時の事を思い返すと、新幹線は同じ車両ばかりで、子供心には「乗るもの」としての興味はありましたが、趣味としてはまだ在来線の方が色々な列車があって、そちらの方が魅力的でした。
(大宮、鉄道博物館にて)
それでも初めて「東京ー熱海」間を乗せてもらった時は、片側に座席が3列あって、中が広いと思いました。
開業当時は号車番号や列車名を表わす「サボ」も手差しの物だったのですね。
(大宮、鉄道博物館にて)
初めて乗った「新幹線こだま号」は各駅停車だったので、高速感はあまり感じられませんでしたが、大阪万博の時に初めて、「東京ー新大阪」間に乗った時は、「景色が飛んでゆく」という感じを初めて実感したことを思い出しました。
東京を出ると、名古屋、京都そして新大阪でした。ですから「こだま」と違い、高速感を実感したのだと思います。
今では、東海道新幹線は500系の引退後、全車が白とブルーのラインカラーを維持していますが、九州や西日本、東日本では多様な色が採用され、目でも楽しめる「新幹線」が毎日走っています。
もう、半世紀も経つ新幹線ですが、これからも安全な高速輸送が続いて欲しいものです。
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