深川 「富岡八幡宮大祭」
東日本大震災で1年延期されていた「大祭」でしたが、ここで元のローテーションに戻されたそうです。
一昨年には、今上陛下、皇后陛下の行幸を仰ぎ、盛大に催された「深川祭」でしたが、氏子ヶ町が50以上ありますので、いつも大祭になると大規模な物になります。
富岡八幡宮の「深川祭」は江戸の三代祭として有名です。
浅草の「三社祭」は厳密に言うと「江戸三代祭」には当たりません。
神田祭、山王祭、深川祭が「江戸三代祭」です。
「浅草寺」は超有名な「寺院」で、歴史も古いですが「浅草神社」と言ってもピンと来る方は地方の方にはあまりいないでしょう。
「三社祭」はこの「浅草神社」の祭礼ですし、今でも町の名前として残ってる「浅草田甫」(たんぼ)にもあるように、田んぼが広がり、「米」の供給地でもあり、今の様な「祭」の賑わいは無かったようです。
深川は、江戸期からあった「永代橋」により江戸城からも賑わいが広がり倉庫も充実して「深川奉行所」が置かれていました。
「北町奉行」「南町奉行」そして、「深川奉行」というように、行政区が区切られていて、そのランドマークたる「富岡八幡宮」は古地図によれば、今よりもっと広い土地があったようです。
深川は現代においても埋め立てにより氏子町が増えており、今では「お台場」あたりまでが、氏子町会になっています。
豊洲も増えた氏子町会のひとつです。
この祭は「水かけ祭」とも呼ばれるほど「ずぶぬれ」になる祭です。
真夏の「祭」なので当たり前の様ですが、天気によっては、唇が紫色になるほど震える時もありました。
しかし、「深川っ子」の意気でいつでも大賑わいの「祭」になります。
「富岡八幡宮」には、「東京佐川急便事件」でも有名になった「一の宮」が飾られています。
「二ノ宮」も飾られていますが、規模が全く違います。
「二ノ宮」がよその「宮神輿」と同じかそれ以上の大きさなので、いかに「一の宮」が桁外れに大きいかが分かります。
いつ行ってみても、賑やかな「深川祭」ですが、かたくなに「伝統」が守られている様な気がして、個人的にも好きな祭です。
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