「盆踊りの縁日」
中でも、本願寺の盆踊りに来ている縁日の業者さんで、小生が小さい頃からずっと来ているのが「たこ焼」のオッチャンです。
若い頃は、チョット「尾崎紀代彦」似でした。(本人も意識していたのだと思う?)

他の業者は、内容も変わって人も変わってしまいましたが、このおっちゃんは相変わらず、ひたすら昔から「たこ焼」一筋です。
奇をてらわず、今でも普通サイズのたこ焼で10個で500円でした。

小生の子供の頃の本願寺は、児童公園があって今の「紫水」の奥の所に「鳩小屋」が2基建っていました。
ですから、小さい子供達は、お婆ちゃんとパンの耳など、餌をやりに来て、それが済むと、公園で遊んでいました。
鳩小屋があった頃。 昭和30年代後半~40年代前半。 (京橋図書館資料より)
脇の門の左側には必ず、「清太郎」と呼ばれた爺さんが「金魚すくい」の店を開いていました。
盆踊りの時ばかりではなく、春と秋のお彼岸や夏休みにも長期的に出していて、近所にいつも「水汲み」に行っておりました。
「遊び」と「本番」という2パターンの「ポイ」があって、「遊び」はしっかりした紙で出来ていて、そこそこすくえて楽しめました。
「本番」の紙は、薄くてすぐ破けるもので、値段も「本番」が高かったです。
本堂から銀座方面を見る。昭和40年代後半。 (京橋図書館資料より)
当時は、まだ「キリギリス」や「スズムシ」などの「虫売り」や「虫籠」などを売る店もあり、「山吹鉄砲」、「型抜き」、「射的」、「あんず飴」などの定番の店が数多くありました。
今では、「わたあめ」、「お面」、「花火」さえも見かけなくなりました。
盆踊りの時には、縁日でロケット花火を買って、本堂の周辺で飛ばしたものです。
昭和37年、本願寺盆踊り。 (京橋図書館資料より)
櫓の周りには今の様な観覧席や、飲食の売り場など無く、駐車場も無かったのでこんな事が出来たのだと思います。
今より人がいないので、おおらかな時代でした。
一時、「本願寺の盆踊り」も人がいなくて、存続の危機があったそうですが、今では関係者の努力もあり、「日本で一番おいしい盆踊り!」とまで言われているそうです。
それは、場外の業者さんが「焼鳥」をはじめ、「モツ煮込み」や「厚焼玉子」、「シューマイ」、「牛肉ステーキ」、「海鮮焼」など、よそでは味わえない築地ならではの食材で「屋台」を出しているからです。
毎年、遠くからこれを目当てに来る観光客もいるそうで、ますます目が離せない「盆踊り」になって行くようです。
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