「勝ち虫」 (かちむし)
「とんぼ」は、素早く飛び回りながら餌となる害虫を捉え、しかも力強く前にしか飛ばない事から、戦国武将には「戦の勝ち」(決して後退しない”不退転”)を連想して、「勝ち虫」と呼ぶそうです。
武将の兜や鎧を始め、様々な武具や衣装にもこの柄を好んで使っていました。
また、もっと時代が遡り、西暦400年代に即位していた雄略天皇が狩りに出掛けた折に、腕に食いついたアブを「とんぼ(蜻蛉)」が素早くくわえて飛び去った事を手柄とし、「倭の國を蜻蛉島と謂ふ」と、古事記にも記される歌として残したことが発端とする話もあります。
古代から 湿地が多かった日本列島には、沢山の「とんぼ」が生息しており、稲作の広がりともに「とんぼ」はより身近な昆虫になって行ったと考えられています。
「秋津島」(あきつしま) は日本の古い呼び名で、また「秋津」はとんぼの古い呼び名なのだそうです。それだけ「とんぼ」は何処でもみられた「虫」と言う事が出来るのでしょう。
今では、シオカラトンボかアキアカネくらいしか、築地では見る事ができませんが、それも、浜離宮や芝離宮をはじめ、皇居の森が近くにあるからなのでしょうか。
近所の子供達は、「蝉」は「あかつき公園」で羽化を見る事は出来ますが、綺麗な水を好む「とんぼ」はなかなか見る事ができません。
田舎に行けば、オニヤンマやギンヤンマも見る事が出来ますが、こちらも宅地開発が進んで、数が減っているようです。
ビオトープという、人工的な昆虫の生息環境を身近に再現して、とんぼや蛍などを呼び戻そうと取り組んでいる施設も増えているようです。
いずれにしても自然と共に生きて来た「日本人」ですから、「勝ち虫」としての「とんぼ」も末長く語り継いでいって欲しいものだと思います。
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