「居留地中央通り」の看板
少し前にも書きましたが、築地は「居留地」ではなく、あくまでも「本願寺造営」の副産物の埋め立て事業で作られた土地で、明石町にあった「居留地」だった訳ではありません。
築地6丁目交差点の南側(市場寄り)までは「波除通り」という名前の「通り名」が付いていますが、ここへ持って来てその北側は「居留地中央通り」になってしまいました。
聖路加病院周辺は当然、居留地があった所なのでこの名前を付けるのは当然ですし、名前があった方が対外的にも分かりやすくて良いでしょう。
しかし、居留地ではなかった土地にまで、歴史を誤認してしまうような名前を付けてしまっては、やはり「ダメ」だと思います。
この「居留地中央通り」は「鍛治橋通り」の手前まで続いているようですが、そちらの方でも同じ事が言えるでしょう。
この通りの命名については、行政と地元関係者で検討が行なわれてきて決定したと聞いていましたが、やはり実際に看板が建ってしまうと、「一抹の寂しさと情けなさ」を感じます。
2020年の「東京オリンピック、パラリンピック」を見越しての事とも思いますが、チョット感覚が違うような気がします。
この先「居留地中央通り」はどのような形で対外的に認識されて行くのか、関心を持って見て行きたいと思います。
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