「地下鉄 日比谷線」
「次は、築地、築地、本願寺前です。」という独特の車内アナウンスは、昔と変わりませんが、これは築地の本願寺が、駅の出入り口の土地を提供した為だと言われています。
2年後からは20m級の車両が7両編成で走り出すそうです。
今迄は、カーブのきつい所もあって、1両の長さが短い車両だけしか走れないからだとずっと思っていました。
昭和39年(1964)のオリンピック開催に伴って、突貫工事で仕上げたのでしょうからそれもあったに違いありません。
しかし、本当の所は、相互乗り入れをする、東急が50数年前は18m級の車両しか無かったからだったそうです。
それに合わせて、東武も当時の営団も18m級の8両編成で統一したのだそうです。
日比谷線は、まず昭和36年(1961)に南千住~仲御徒町間が開業し、翌年に北千住~南千住間および仲御徒町~人形町間が開業しました。
人形町~東銀座間は、昭和38年(1963)に開業したそうですから、今年で半世紀という事になります。
丸の内線は、走行車両が単一なので、ホームドアの設置が早く済みましたが、ようやく日比谷線も20m車両にすべてが入れ替われば、やっとホームドアが設置されるのでしょう。でもまだ先の話です。
昨年、相互乗り入れ相手の東急は、副都心線との乗り入れを始めて、日比谷線との乗り入れを止めました。
いつの間にか東急は20m車両になっていて、旨みが無くなってしまったからなのでしょうか?
いずれにしても、新しい車両が走るのは良い事だと思いますが、トンネルのきついカーブの問題は、クリアされたのでしょうか?
築地~東銀座間や人形町~茅場町間の壁を削る工事があるかもしれません。
それはそれでまた、面白いでしょう。
50数年が経って、リニューアルする予定の「日比谷線」です。
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