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2014年6月18日 (水)

「市場線の機関車」

東京都の予定通りですと、あと2年で築地から市場が移転します。

私が撮った貨物線の写真を探しているのですが、なかなか見つかりません。

知り合いがジオラマを作ってくれたので、当時を想像してみて下さい。

2014jun6_002_2

「魚がし」の手拭がご愛嬌。

小生が小学生だった頃(40数年前)は朱色のディーゼル機関車が入れ換えに来ていました。 DD13という機関車です。

当時、東京市場駅には鮮魚は勿論、加工品、塩干物、青果、促成野菜、漬物までが貨車で運ばれてきていました。

2014jun6_008_2

土曜の午後か日曜の昼間に、友人と静かになった市場に自転車で出かけていました。

青果のホームには黒い貨車が横付けされていて、外板にスリットの入った貨車や薄汚れた古いものまでいました。

スリットの入った貨車は「通風車」と言って、促成野菜を主に運んでいて、形式も「ツ」とか「ツム」と書いてありました。

また、扉を半開きにして積み荷に風を当て、通風車代わりにしている物もいました。「ワ」とか「ワム」と書いてある貨車です。

扉を縄で縛っていて、当時の貨車不足の影響もあったのでしょうが、おおらかな時代でした。

やはり、築地と言うとメインは魚でしたので、魚のホームには荷下ろしされた後の銀色や白の貨車が魚のホームに沢山横付けされていました。

1962dd13

昭和37年(1962)頃の東京市場駅の魚1番ホーム。 (京橋図書館資料より)

この写真の機関車は、まだ茶色に黄色のラインの入った塗り分けでしたが、小生が見ていた機関車はもう朱色でした。

因みに茶色の時代の物はこんな感じです。

20135_036

茶色のDD13。 (大宮 鉄道博物館にて)

魚のホームには「レ」「レム」などの冷蔵貨車がいつもいて、扉の周りはいつも錆だらけだったです。

たまに検査直後の貨車もいて、真っ白な車体の物も見かけました。

よく、鮮魚特急「とびうお号」などと言う、九州方面からの特急扱いの列車に使われた「レサ」とか「レムフ」などの貨車は、夜中に着いて、荷降ろしをした後、すぐに帰ってしまうので、当時は東北方面の列車に使われていた「レサ」しか見た事がありませんでした。

当時は、夏休みの平日くらいしか機関車にはお目にかかれませんでしたから、今の朝日新聞の裏の線路端に行って、汐留に向かう列車を待っていました。

まだ朝日新聞が引っ越してくる前でしたので、空が広かったのを思い出しました。

2014jun6_022

午前便は市場があわただしく、小学生には怖くて危ない所でしたので、午後の列車を線路端で待っていたものです。

新大橋通りの踏切は手動でしたので「カンカンカン」と鳴って遮断機が下りると、短い汽笛を鳴らして市場からDD13が列車を引っ張ってきます。

ゆっくり目の前を通過する列車を、汐留方向に見えなくなるまで友人と一緒に見ていたものです。

因みに今はこんな感じです。

2014febno3_103

中央のトラックが止まっている後ろのフェンスと、右側の緑の木の左側を結んで、貨物線が走っていました。奥は汐留方向です。

2013may_111

これも当時の「貨物線跡」で、汐留方向から市場方面を見る画像ですが、赤い車の後ろあたりに「踏切小屋」があって、そこで遮断機を操作していました。

当時の貨物線の思い出は、東京市場駅の専用線が原点で、学年が上がるにつれて、汐留から、竹芝にあった線路を追いかけ、芝浦駅まで足が伸びて行きました。

汐留駅にあった、客貨車区や信号所にまで行くようになり、当時ブルートレインの基地があった「東京機関区」や品川にあったDD13の「品川機関区」迄も行くようになって、行動範囲がとても広くなりました。

まだまだ、この市場線については色々とありますが、また次の機会に書きます。

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コメント

こんばんわです。ジオラマ気に入って頂けたでしょうか・・・
ブログの掲載ありがとうございます。 (^.^)  (^.^)

上京して早30年、当時は築地市場線の踏切を何気なく通過していて
今にして思うと、やっぱり記録撮影して置けばと後悔しちゃいますね。

学生時代に下関や広島からのレサ10000の高速貨物が築地に向けて
山陽本線を走り抜けていく姿を、ふと思い出します。

築地の思い出・・・・私の場合は場内や場外のワクワク感もありましたが
それと築地市場線のレサとDE10でしょうかね・・・・・

||| また遊びに行きますので宜しくお願いします。|||\(^o^)/

レサ10000さま、ジオラマの製作有難うございました。自分にはできない細かな表現が気に入っています。

40数年前の市場の中でのDD13は、「朱色」のカラーリングがとても目立っていましたが、営業中の市場にあって、午前便の運転手は早く汐留に帰りたいように見えました。

それは、いつも線路内には木箱の残骸や、たき火跡の燃えカスなど、今考えたらとんでもないような光景が当たり前にあった時代背景でしたので、駅員も列車が出て行くまで気が抜けなかった場所だったのでしょう。

市場内のシングルクロスは踏切と一体になっていた珍しい構造だったので、デコボコ踏切を渡る小車や、出始めた「ターレー」から荷物が落ちたりしていましたので、いつも駅員が掃除をしていました。

駅員たちは交代で勤務していたので、当時はコンビニも無いのでよく小田原町のスーパーにチャリの二人乗りで食材の買出しに来ていました。

久々に思い出した光景です。

あと2年ぐらいで、思い出の市場線跡も消えてしまうので、今度は時計台踏切か、青果踏切の情景でも作っていただきたいと思いますので、その節はよろしくお願い致します。

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