「千社札」 (せんしゃふだ)
本来、千社札は無許可で何処にでも貼ってはいけません。
同好の士の間には、昔から続いている暗黙のルールがあります。
願をかけに行く寺などに、般若心経など自分で書いたものを納め、相手方の寺社の許可を得てから自分の題名を摺った「千社札」を貼らしていただくのが本筋です。
ただ、最近は貼らせてくれる寺社が減っている事も事実です。
千社札に使う紙は、自然に風化するように和紙を使い、貼る時の「糊」もやまと糊のような自然に近い物を使います。
しかし、最近は木製の千社札を作って「釘」を打って止めている物も見かけます。これは、柱などを痛めるだけではなく「マナー違反」です。
また、シール製の物や元々貼ってある上への重ね張り、黒以外の色札はNGです。
羽黒山神社の「随身門」天井の千社札。
小生は、祖父の代から納札の会に入らせて頂いていますが、実際の貼る現場には行った事がありませんので、差し出がましい事を云うのは憚られますので、あまり強い事は言えませんが、本来信仰の一部であった「千社詣り」の行ないが、ただ自分の札貼りだけの目的になって来ているのが少々寂しい気がします。
大内宿、高倉神社「一之鳥居」脇。
秩父三十四ヶ所の札所は「納経所」という窓口がしっかりできていて、納札の人たちを受け入れています。
秩父の札所は、大抵「納経所」を設けています。
今年、秩父をはじめ観音様を祀ってある所は、「午年御縁年」と言う事で、特別に御開帳している所が数多くあります。
緑が鮮やかなこの季節に札所を訪ねるのも良いのではないでしょうか?
一方、愛好家の間では、多色刷りの千社札の交換会などもあります。
多色刷りの方はいわば「名刺代わり」の様なものですが、皆さん凝った物を作られています。
画題を決めて色々考えて発注します。
絵師、彫師、摺師の手を経てでき上がりますが、題名(自分の名前や通り名)だけのシンプルなものから、判じ物の様な色をたくさん使った凝った物まであります。
思いがけない所で、知り合いの「千社札」を見かける時があります。
何となく嬉しいですし、あの人もここへ来てたんだという思いもあって、初めて行った所が身近に感じられる時もあります。
「千社札」、奥が深いです。
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