市場の「遊技場」
記憶が曖昧ですが。中には「ピンボール」の台が何台か置いてあったと思います。他の記憶はありません。
市場内で働く人の福利厚生が目的だったのだと思いますが、中はベージュ色に塗られていて、明るかった雰囲気を覚えています。
海幸橋から場内を見る。遊技場はこの左端にあった。(京橋図書館資料より)
宝くじ売り場は今と大体同じ場所にあって、海幸橋の上にはいつもブリキのおもちゃを売っている「テキヤ」の屋台が出ていました。
昼に店じまいしてから、秋葉原で店を出していたのを見た事があります。
当時の海幸橋は、今の「築地6丁目交差点」に都電の停留所があり、「勝鬨橋」と言う名称の「停留所」で、人の流れはそちらから市場に流れていました。
正門はあまり人通りが無く、車の出入りが多く、勝どき門もまだ無くて、海幸橋が市場の表玄関のようでした。
この左側に遊技場がありました。
先日、ふとした事からこの事を思い出したのですが、まだ川があって、場内と場外を隔てていて場外は2時過ぎにはもう皆、店じまいをしていた記憶があります。
ありし日の「海幸橋」 (京橋図書館資料より)
波除神社も今ほど人通りが無く、土曜の午後などは静かな佇まいになっていました。
小生も子供の頃、市場探検に行く途中に遊技場を偶然見つけた記憶だけが思い出として残っています。
今でしたら、水神社やこの遊技場などは絶対作れなかったでしょうが、当時はまだおおらかな時代だったのでしょう。
記憶から飛び出した「遊技場」の思い出です。
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