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2014年4月13日 (日)

「采女橋」 (うねめばし)

新橋演舞場の近くに「采女橋」(うねめばし)が架かっています。

S37

首都高内回り、銀座出口付近の手前の橋が采女橋

              (京橋図書館資料より)

読みづらい名称ですが、紀伊徳川家筋の旗本の「松平采女正」に由来する橋名と言う事です。

采女正(うねめのかみ)は采女司(うねめのつかさ)という役所の長官と言う意味だそうです。

今の橋は、昭和5年(1930)に関東大震災の復興橋として建設されたそうで、2連のアーチ橋として作られた首都高が通る橋としては珍しいそうです。

Photo

昭和6年の采女橋。後ろの建物は現在の「東劇ビル」 (京橋図書館資料より)


近くには時事通信社や旧、日産本社(現、読売新聞社)、新橋演舞場があります。

S53

昭和53年(中央区フォトギャラリーより)

左下が「采女橋」、懐かしい「スエヒロ」が建つ。奥は築地場外市場、右下が以前の「新橋演舞場」。

こう見て見ると、つい30年近く前までは、川がまだ隅田川まで繋がっていた事が分かります。

明治初期には銀座側に「精養軒ホテル」があり、文明開化の最前線の土地であったようです。

M44

建物は「精養軒ホテル」で、今の時事通信社。手前が「采女橋」。

             (京橋図書館資料より)

この橋は、銀座中学校への通学路にもなっていて、小生が通っていた頃(40年ほど前)は今の橋でしたが、周りの環境は大きく川変わってしまいました。

川は無くなり、スエヒロも東急ホテルも旧、演舞場も無くなってしまいました。

橋名が読めないので「さいじょばし」とも言われていました。

唯、この橋は建設されてからもう54年の月日が経っているという事です。

昔の「橋」は、メインテナンスをすれば100年以上位は大丈夫と言う事をまざまざと見せつけていると思います。

まだまだ現役の「采女橋」でした。

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