「市場線の名残り」
銀座8丁目には、踏切信号機が残されていて、唯一当時の面影を今に伝えています。
今、高速道路になっている所には、新尾張橋が架かっていますが、それまでは川があり、鉄道橋は、
こんな感じでした。手前が尾張橋、その奥が鉄道橋。(京橋図書館資料より)
左側が汐留、右が東京市場。奥に東劇と新橋演舞場が見える。 (京橋図書館資料より)
現在の朝日新聞社裏から市場に入り、大都魚類事務棟の前までの配線は、一部のファンの方のブログ等で見る事が出来ます。
小生もよく遊んでいた場所ですが、撮った写真はごくわずかで、探していてもなかなか見つかりません。
ビジュアルで、名残りでも見られたらと思い廃線跡を撮った物で書いてみます。
大都魚類事務棟入り口。この前まで、単線の引込み線があり、終点になっていて、レールを曲げた、車止めがあった。
角度を変えて撮った物。もう、隅田川や勝鬨橋はすぐ右側にある。
トレーラーの止まっている所は、以前川があったので、本当に最長にレールを敷いた物と思われる。
ホームは、ほとんど荷下ろし専門で、汐留方から、青果ホーム、魚類ホームと分かれていて、扇型部分が一番長いホームになっており、浜離宮側にも2ヶ所、ホームがありました。
まず、汐留方から入ってきた列車は、新大橋通りの「御浜踏切」の手前で停車します。
「御浜踏切」跡。ここでいったん停車していた。
中央の緑のフェンスの所から入線して来た列車は市場の中央まで一気に進みます。
青果門のすぐ脇にあるタバコ屋の前を通り、ここから中線に入って行った。
左側が青果のホームがあったところです。
ここが昔は、
こんな感じでした。 (京橋図書館資料より)
ここは、まだ青果ホームが残っています。
少し入って「時計台踏切」にはシングルクロスのポイントがあって、機回しをした機関車が、列車の反対側から魚類ホームに貨車を押して横付けします。
他の入れ換えが無ければ、青果のホーム横に待機していて、定刻になると汐留に帰って行きました。
これは、右が青果ホーム。奥が汐留方。 (1974年、出典不明。市場関係のHPより)
先頭に機関車が付いていて、帰りの便の待機と思われる。
ホームの面積は結構広くて、入れ換えの無い時間の遊び場には持ってこいの所でした。
奥が汐留方。左のトレーラーが止まっている場所が、干物のホーム。
右が魚類ホーム。
この道路になっている所全てが線路になっていました。
右側に本線と、魚ホームが続きます。
ホームはこんな感じになっていました。(東京都資料より)
ホームの荷下ろしはこんな感じでした。
(京橋図書館資料より)
機関車は品川のDD13ばかりでしたが、一次型の一つ目が来るのが好きだったように思います。当時はもう朱色の機関車でした。
左上の冷蔵庫のホームは魚4番のホームで、間も無くその姿も見納めになります。
魚4番のホーム。後ろが旭冷蔵庫。
これは市場竣工時の写真で、左が中央魚類の事務棟がある所。
右が隅田川で、線路はまだ敷かれていない。(京橋図書館資料より)
中央部分は今の活魚売場で、まだ何も無い。
市場線は、鉄道ファンも入りにくい場所だった事もあって、本当に画像が少ないので、とりとめもなく綴ってしまいましたが、いずれ小生の写真を探して、当ブログに載せたいと思います。
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