「築地市場」に思う事
築地の市場も観光客は増えていますが、買出し人の来場は減って行く一方に見えます。
一番減っているのは、町の魚屋さんだそうで、スーパーに圧倒され組合員の数も減っているそうです。魚の取扱量も市場外流通が進んでいます。
場内、鮮魚棟の大屋根。
小生の子供の頃の築地周辺は、観光バスが来るところと言ったら、築地の西本願寺か、勝鬨橋位でした。
それが40数年経って、昔はディープでチョット怪しい場所だった、築地の場内や場外の市場に、全国から、また世界からも観光客が訪れるようになりました。
海幸橋があった頃、橋の上から場外市場を望む。 (京橋図書館資料より)
初めは昔の上野アメ横のように肩がぶつかりあうような狭猥な感じを求めて来る人も多かったですし、昭和レトロが今も残る町として認知されていたようですが、当時は売る方もプロユースだけだったので、見慣れない観光客を相手にしない雰囲気がどこでも感じられました。
今ではどうでしょう。テレビ取材は連日のように行なわれ、コアなファンだけの店が雑誌などに多く取り上げられて、列を成していますし、「築地」と言う地名を知らない人がいないほど、全国区の場所になりました。また、「TSUKIJI」も世界に知られた地名になりました。
観光バスも、「築地市場」を目指して各地から来ています。
昔、川だった場所に「鮮魚マーケット」も建設されようとしています。
ここの川が今度「鮮魚マーケット」が出来る予定地。(京橋図書館資料より)
場内市場の移転後の場外市場の生き残り策の肝になる施設だそうですが、実際に場内市場が移転した後の事を考えると、どうなるか分からない事が山のようにある事でしょう。
場外の経営者も「場内市場があっての場外市場」と言う事を、良く分かっていて、仕入れのメインはあくまでも「場内」ですから、この「鮮魚マーケット」に期待するところは、とても大きいと思います。
昭和52年、場外市場、右の川は、場外の駐車場、ここに千社額棟が建っている。
(中央区フォトギャラリーより)
しかし、場内と違って、「卸売」という看板は無く、規模も違う訳なので、その辺の不透明な危うさがあるのは事実でしょう。
いずれにしても、移転が具体的に進み始めた今、小生も含めたここに残る者がどうやってこの「築地」での生き残りをかけて日々努力して行かなければならない事だけは、確かな事だと思います。
10年、20年後を見据えて、頑張らなければならないと思います。
« 「カーネーション」色々 | トップページ | 「春彼岸」 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「水無月」(2015.06.05)
- 「いよいよ、つきじ獅子祭」(2015.05.31)
- 「文字の面白さ」(2015.05.28)
- 「京都のエスカレーター」(2015.05.09)
- 「福徳神社」の思い出(2015.03.23)
コメント