「天水桶」 その2
まだ、築地に市場が移転してくる前の奉納品で、供出を免れたそうです。
もう一つは、地元の「江戸消防記念会、第一区六番組」が奉納したものです。
余談ですがこの桶は、今は獅子殿の左右にありますがが、以前は本殿の両側にあって、獅子殿は、天井大獅子が奉納される前は、舞台がありました。
さて、この二種類の桶については、以前書きましたが、成田山で同じ六番組が奉納した「天水桶」がありました。
同じ仕様なのですが、桶が一対あり、その上に波除さんの二倍の、六個の小さな桶が乗っています。
この飾り方の「天水桶」を見たのは初めてです。
下の波除さんの物と、作りがよく似ています。
上の画像は波除さんですが、成田山では、立入禁止になっていて、裏側を見る事ができませんでしたが、波除さんの方は見る事が出来ます。
筆が「入五」となっていて、当時の頭が揮毫したのでしょう。
「入五」は入船町五丁目の略称で、当時の頭は、「小関 一」と言う方が、この屋号を名乗っていたそうです。
六番組の頭連中の名前が入れられています。
鋳造所も色々な寺社で見かける名前です。
戦後、供出してしまった「天水桶」を復活させようと、各地の檀家や、氏子たちが奉納した物が、現在見る事が出来る「天水桶」のほとんどです。
ですから、戦火を免れ、供出も免れた物は本当に少ないそうです。
「天水桶」にも、数々の歴史があるようです。
« 「雛のつるし飾り」 | トップページ | やっと見つけた物 「at 歌舞伎座」 »
「小田原町」カテゴリの記事
- 「40数年前の築地」(2014.08.21)
- 「波除さんのお神酒」(2014.06.25)
- 「居留地中通り?」についての独り言(2014.06.02)
- 波除さんの「鯉のぼり」(2014.05.04)
- 「勝鬨橋4態」(2014.05.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント