「江戸城外濠の石」
三代将軍家光の命により、九州地方の四つの藩主が手分けして、この場所の石垣建設に当たったようで、真鶴や根府川あたりの石材を、船で運んで外濠の材料としたそうです。
築地6~7丁目の旧町名が小田原町と言っておりました。
波除さんの横にあった築地側支川が、外濠石垣建設の為の、小田原あたりからの石の荷揚場だったそうですから、この石も小田原町から運ばれたのでしょうか?
大名の「荷揚場」は「物揚場」(ものあげば)と呼ばれていて、庶民の「荷揚場」とは呼び名も場所も区別されていたそうですが、こんな大きい物はどうだったのでしょうか?
このそばの物産ビル別館の建築工事の際、地下4mの所から出て来たそうで,
江戸城南側の濠がこのあたりまであった事が実感できます。
このあたりは以前、「河岸通り」と呼ばれていて、賑やかだったそうです。
昨日は「雨水」でしたが、紅梅がこの石のすぐ隣に咲いていました。
やっと、春が近づいて来たんだと感じました。
このあたりも江戸の遺産が数多くありますが、小生も知らない所がたくさんありますので、暖かくなってきたら、色々探検してみようと思います。
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