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2014年2月26日 (水)

東京市場駅 「引込み線の名残り」

市場内を歩くと、時々アスファルトが剝れて、線路が顔を出している所があります。

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分かりづらいですが、中央の縦の長い物が線路です。

大型トラックが引っ切りなしに通るので、よく線路が顔を出している所を見かけます。

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同じ場所を横から見た所。

市場線が廃止になった昭和62年(1987)頃は、まだバブル景気でしたので、そのまま埋めて処理した所が多く、一部は剥がされて、ガードレールになっていたりします。

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こんな感じのガードレールや

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元、駅構内でガードレールになっている、レール。

廃止の日のニュースがこちらにありました。

「東京市場駅」という駅名は昭和59年(1984)2月に廃止され、「汐留駅」の構内線となってからも、一日一本の九州方面からの1050レ?(列車番号)が入っていました。

もう、他から入荷の列車は無く、夜中に一本入る列車の為の構内線でした。

「とびうお号」の最盛期は5050レだったと記憶していますが、最末期の列車番号は不明です。9000番台だったのでしょうか?

「東京市場駅」の電略(国鉄内の電報略号)は「トシ」(ウキョウジョウ)だったと思います。

構内の配線も3本位に縮小されてしまい、末期の列車は、レムフ10000が1両とコキ10000が3~5両くらいの短編成の列車でした。

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レムフ10000(鉄道博物館にて)

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画像はコキ50000.市場に来ていたのは同じような貨車で濃い青色のコキ10000でした。 (鉄道博物館にて)

乗ってたコンテナは「○に長の字」の「長崎運送」の白くて赤のラインが入った物やグラデーションの入った物(社名は不明)もありました。

小生がここで見たレサの最長編成は、雪で前日入荷の列車が遅延して、たまたま二日分の貨物を繋げた、DE1010がなぜか(浜)の区名板をつけて来ていた時でした。14~15両位の長い列車でした。

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レサ10000(鉄道博物館にて)

まだ、構内では係員が大勢いて、汐留方のレムフをまず突放して最後尾に荷下ろしホームへ入線させ、あとのレサを機関車が推進して、レムフと連結させた後に、日通の係員が扉の封印を解いて、待っていた小揚業者が荷降ろしを始めます。

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レムフ10000(鉄道博物館にて)

構内にもまだ雪が残っていて、寒かったのを覚えています。

この時の様子はビデオに撮ったのですが、なかなか見つかりません。もう一度見て見たいので、また探してみようと思います。

市場内ではまだ、扇型のホームと魚4番線と言われる旭冷蔵のホームが残っていますが、魚4番線は環状2号線が当時の構内を通る計画ですので、3月いっぱいで冷蔵庫の使用が中止されるそうです。

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旭冷蔵前、元魚4番線のホーム

ですから全体が無くなるのも、もう時間の問題かもしれません。

いずれにしても豊洲移転まで2~3年だそうですから、今の様子を少しでも残しておきたいとも思っています。

折に触れて、市場線の事をまた書きたいと思います。

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