東京市場駅 「引込み線の名残り」
大型トラックが引っ切りなしに通るので、よく線路が顔を出している所を見かけます。
市場線が廃止になった昭和62年(1987)頃は、まだバブル景気でしたので、そのまま埋めて処理した所が多く、一部は剥がされて、ガードレールになっていたりします。
こんな感じのガードレールや
廃止の日のニュースがこちらにありました。
「東京市場駅」という駅名は昭和59年(1984)2月に廃止され、「汐留駅」の構内線となってからも、一日一本の九州方面からの1050レ?(列車番号)が入っていました。
もう、他から入荷の列車は無く、夜中に一本入る列車の為の構内線でした。
「とびうお号」の最盛期は5050レだったと記憶していますが、最末期の列車番号は不明です。9000番台だったのでしょうか?
「東京市場駅」の電略(国鉄内の電報略号)は「トシ」(トウキョウシジョウ)だったと思います。
構内の配線も3本位に縮小されてしまい、末期の列車は、レムフ10000が1両とコキ10000が3~5両くらいの短編成の列車でした。
画像はコキ50000.市場に来ていたのは同じような貨車で濃い青色のコキ10000でした。 (鉄道博物館にて)
乗ってたコンテナは「○に長の字」の「長崎運送」の白くて赤のラインが入った物やグラデーションの入った物(社名は不明)もありました。
小生がここで見たレサの最長編成は、雪で前日入荷の列車が遅延して、たまたま二日分の貨物を繋げた、DE1010がなぜか(浜)の区名板をつけて来ていた時でした。14~15両位の長い列車でした。
まだ、構内では係員が大勢いて、汐留方のレムフをまず突放して最後尾に荷下ろしホームへ入線させ、あとのレサを機関車が推進して、レムフと連結させた後に、日通の係員が扉の封印を解いて、待っていた小揚業者が荷降ろしを始めます。
構内にもまだ雪が残っていて、寒かったのを覚えています。
この時の様子はビデオに撮ったのですが、なかなか見つかりません。もう一度見て見たいので、また探してみようと思います。
市場内ではまだ、扇型のホームと魚4番線と言われる旭冷蔵のホームが残っていますが、魚4番線は環状2号線が当時の構内を通る計画ですので、3月いっぱいで冷蔵庫の使用が中止されるそうです。
ですから全体が無くなるのも、もう時間の問題かもしれません。
いずれにしても豊洲移転まで2~3年だそうですから、今の様子を少しでも残しておきたいとも思っています。
折に触れて、市場線の事をまた書きたいと思います。
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