千住宿、奥の細道 「芭蕉像」
芭蕉と弟子の曽良がこの地から、奥の細道の旅路へ出発した事は、周知の事です。
「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と詠んだのもこの地です。
芭蕉の石像、足元の左側には「矢立初めの碑」がある。
市場の入り口にこの様な石像と石碑が建っていて、観光客も訪れていました。
市場自体は、青果市場が北足立市場に移転していて、今は魚類のみの市場になっています。
千住の「やっちゃ場」として知られたこの界隈には、江戸野菜のひとつ「千住ねぎ」を扱う卸問屋もあり、ここに青物市場があった事を今も伝えています。
こちらは、日光道の道標(みちしるべ)。
小生は、中尊寺に何度か行った事がありますが、「奥の細道」での旅は、2400kmもあったということから、当時の人たちが、いかに健脚だったかがわかります。
ここからの旅路は、まだ未知の場所への出発と言う事で、何が起こるか不安な旅立ちだったと思います。
今では青森でも日帰りできる程、便利になっていますが、江戸時代に想いを馳せると、想像もできないくらいの壮大な「旅」の出発だったに違いありません。
周囲の喧騒を忘れて、暫く「奥の細道」の旅に想いを巡らせた「千住芭蕉像」でした。
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