東海道新幹線「開業50年」
昭和39年(1964)に開催された「東京オリンピック」に間に合うよう、急ピッチで建設され、当時は東京ー新大阪間を4時間10分で結びました。
当時の車両は、愛嬌のある先頭車両の、通称「ブタ鼻」の0系車両でしたが、当初は「0系」という呼び方は誰もしていませんでした。皆、「新幹線!」でした。
愛嬌ある形の「0系」先頭車。 大宮、鉄道博物館にて。
東海道新幹線には、この形の車両しか走っていなかったので、「100系車両」が登場するまでは区分する形式名は一般的には無かったように記憶しています。
初めの頃は新幹線の行き先表示も、電光表示板では無く、手挿しの表示板でした。
行き先に「超特急」と言う表示が懐かしいですが、当時は在来線の特急「こだま」が東京ー大阪間を6時間もかけて走っていたので、「特急」を越えるスピードを表現する「超特急」という言葉が使われたのでしょう。
子供心に「光のように、とても速い電車」というイメージと、「乗って見たい!」という希望を持ちながら「絵本」などを見ていた記憶があります。
「超特急、ひかり号!」は開業当時から16両編成でしたが、各駅停車の「こだま号」は12両編成でした。
それまでの東海道在来線に走っていた特急「こだま」を凌ぐスピードの「ひかり」というネーミングも、子供心をワクワクさせたものでした。
初めて新幹線に乗ったのは、熱海まででしたが、「もっと乗りたい!」と思ったものでした。
また、「ビュフェ」という聞き慣れない言葉が使われ、「食堂車と同じじゃないか!」と思った事を思い出しました。
成人してから、お盆の時期に友人と旅行に出掛けた時に、混雑した自由席には行かず、サンドイッチとコーヒー3杯で、東京から京都までずっとビュフェにいたこともありました。
車両も「0系」から2階建て車両が4両も付いた「100系」が登場し、「のぞみ」の愛称がついた「300系」もあり、飛行機の様な「500系」、そして今は「700系」が走っています。
「700A」という改良型の車両も走りだし、東京ー新大阪間を2時間25分で結んでいます。
この秋に、開業50年を迎える「東海道新幹線」ですが、まだまだ次期「東京オリンピック」を開催する頃も「鉄道動脈の主役」である事は間違いないでしょう。
世界に誇れる日本の「SHINKANSEN」ですね。
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コメント
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わたしも初めて新幹線に乗ったのは幼稚園、熱海まででした。 それから小学生高学年の時に東京駅で見た黄色い新幹線。 中を窓から覗くと、座席の代わりにびっしりと沢山の機械が詰まっていたのを覚えています。 『ドクターイエロー』でした。
神田の交通博物館がなくなって久しいですが、大宮まで行こうかな^^
投稿: たんごたんきち | 2014年1月14日 (火) 22時20分
たんごたんきち様、コメントありがとうございます。
新幹線は、子供心に0系しか走っていなかったので、在来線の方が好きでしたが、いざ無くなって見ると、当時のデザインがとても親しみがあったものだと改めて思います。
大宮の鉄博は、行ってみるととても広く、鉄道好きでなくても結構楽しめます
投稿: 築地 魚がし 小田原町 | 2014年1月15日 (水) 06時03分