千住市場の「千潮金刀比羅宮」 (ちしおことひらぐう)
小生も何度か足立市場には来ていましたが、初めてゆっくり見てみました。
石の扁額に「千潮金刀比羅宮」と刻まれています。
本殿もきちんと整備されていて、築地の水神社と同じように、足立市場の人たちによって、信仰されてきたのだと分かる社殿になっています。
鳥居をくぐって右側には、「塚田社記」と記された石碑があり、この社の縁起が刻まれているようですが、夕方に訪れたので、文字が細かく良く読めませんでした。
また、左側にも「千潮稲荷」と彫られた「石碑」があり、前には稲荷の眷族(けんぞく)である狐の石像が左右に祀られています。
鳥居の両側には講中の人たちの名前が「玉垣」に刻まれています。
「四国の金刀比羅宮」は商売繁盛と航海安全の神様ですから、千住市場の人たちもこれらの御利益にあやかってお祀りしているのでしょうか?。
後から調べたところによると、こちらは「伏見稲荷」から分霊され、最初は南千住の汐入にあって、「千潮稲荷神社」と尊称され、関東大震災以後、足立区内を何ヶ所か移転して昭和20年(1945)にこの敷地内に仮遷座されたそうです。
その後、水産と青果の業者が「講」を作り、昭和29年(1954)に4年計画で敷地を整備して、この場所に鎮座し、昭和41年(1966)6月に「千潮金刀比羅宮」と改名したという縁起があります。
また一方、もともと、浮島金毘羅宮として15世紀の末頃からあった神社に、明治20年、石神井の水天宮を遷座して、ここにお祀りし、昭和41年(1966)6月に千潮稲荷と共に、これらを合祀して「千潮金刀比羅宮」と改名したという説もありました。
本殿の左側に神輿蔵があり、平成22年、足立市場開場65周年を記念して、神輿が20数年ぶりに担がれたという事です.
また、今年の11月にはここで、マグロ業者による「庖丁祭り」も開催されたという事です。
神輿は見てみたかったですが築地同様に、住んでいる氏子がいないと定期的に祭礼や神輿の渡御ができないという事情は一緒の様です。
千住の市場は、京橋と並び「千住のやっちゃ場」とも呼ばれていたそうですが、今では青果市場は北足立市場に移転して、水産市場だけになってしまいましたが、市場の周りには、青果物を取り扱う店舗もあり、最近では「江戸野菜」でお馴染みの「千住ねぎ」が知られるようになっています。
写真の鉄橋はJR常磐線。千住大橋はすぐ右手、上流側に掛かっている。
市場のすぐ横には隅田川が流れていて、千住大橋もあり、芭蕉が「奥の細道」への旅に出発した地でもあります。
以前は「宗教関係施設」としての神社の存在は「東京都」も市場の敷地内でも、さほどうるさくなかったので、このように祀られているのだと思います。
築地の移転で豊洲に「水神社」も移転する事になりますが、もう同じようにはできないと聞いています。
古き良き時代の信仰の証しが堂々と残っているのは、嬉しい限りです。
足立市場のすぐ外には、芭蕉関連の物もありましたので、また次の機会に紹介します。
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