築地市場の「立体駐車場」
元々、ここの場所は海軍経理学校があり、終戦後、GHQの施設として使われていました。
市場内の水神社には、「日本海軍発祥の地」となる「旗山」の石碑があります。
昭和21年(1946)にはもう、大型のアメリカ製の洗濯機が駐留軍人の洗濯物を大量に洗っていたそうで、周辺には魚がしの関係者とは違う、日本人の下請けの洗濯屋が何軒もあったそうです。
ウチの父も子供の頃に、進駐軍のコックさんと仲良しになり、遠足に行く時はまだ珍しい「サンドイッチ」を作って弁当に持たせてくれた逸話があります。
しかし、友達にも珍しいので、自分の口にはあまり入らなかったそうです。
祖母も片言の英語でコミュ二ケーションを取っていたと聞きました。
日本に返還後は、暫く建て物は残っていて、周りではバッタ獲りなどが楽しめました。
その後暫く、更地になっていましたが、市場の買出し人の増加と、就労者の自家用車の利用で、最初の立体駐車場ができました。
最初にできた立体駐車場
鉄道輸送に変わって大型トラックの出入りが多くなり、また取扱品目の増加もあって、2棟目の立体駐車場ができる事になりました。
そこで、隣の厚生会館を壊すことなく、隅田川方向へ平行移動するという大型の建物としては前例がない事が行なわれました。
そして、2棟目の駐車場が完成となりました。
ここは、7階建てで屋上に上がると、眺めがよく、市場の扇型がはっきりと分かります。
隅田川方面は
こんな感じで、勝鬨橋は
こんな感じに見る事ができます。
この駐車場は豊洲移転後は中央区が観光客の駐車場として、東京都から借り受けたいという意向があるようですが、まだどうなるか分かりません。
駐車場屋上のアーチ部分、ここも駐車場になっている。
遅くとも、3年後には豊洲の新市場が完成となるでしょうから、ここの風景も激変するでしょう。
まだまだ、知っているようで結構知らない景色がある「築地市場」です。
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