「絵びら」の本
祖父が、提燈屋として始めた商売ですが、その頃の「提燈屋」は「番傘」や「びら」や「徽章」なども手掛けておりました。
ですから、筆を持って色々な物に「名入れ」をしていたわけです。「絵」が描ける職人もおりました。
この本は、戦後に築地が、GHQの統制を解除されてからあと、自由に商売ができるようになってから、魚河岸の仲卸業者などが取引先に、開店祝いや売り出しの「賑やかし」等の為に贈った「絵びら」の小社にとっておいた物を、ひとまとめにした物です。
昭和20年代後半から約10年間位の期間のものだと思いますが、祖父も「絵」を習ったようで「雅号」も持っておりましたので、祖父が下絵を描き、絵師と相談して色を決めたりして発注し、1枚1枚絵師が「手描き」して小社に納めていました。
オリジナルの物ばかりではなく、仕入れの物もありました。
七福神や宝船、鶴亀や鯛、海老などのお目出度い柄が描いてあり、そこに「贈り主」や「贈り先」の店名を書き入れ、お目出度い言葉「嘉言」(かげん)を書いて完成となります。
大阪万博(1970)の前頃までは、まだ多くの「絵びら」が出たようですが、贈り物の形態が徐々に変わって、最近では年に10枚くらいの仕事になってしまっています。
勿論、今書いているのは、この本に出てくる「絵びら」ではありませんが、「絵師」ももういなくなってしまっているので、小店にあるのはもうストック分だけになっています。小生は「文字」は書けますが、「絵」は描けませんので、、、。
関西方面で今もコレクターのいる「引き札」や「絵ビラ」は絵入りの1枚物のカレンダーのように、業者の名前の部分を差し換えて使うような、立派な作品ともいえる「絵」が描いてありますが、小社の「絵びら」はポスターの全紙の大きさと、その半分の大きさの2種類です。
「絵びら」は、使い捨てになってしまいますが、開店する店には「入り口」を除き、周りに足場を組んで「ベタベタ」と何枚もの「絵びら」が飾られました。
この本は、販売目的ではなく、資料として作った物なので、製作部数も少なく、小店店頭で見て頂く事ができますが、およそ60~50年前の「魚河岸文化」の一端を知って頂こうと思い、多方面の方にもご協力頂き、やっと日の目を見る事ができました。ご協力頂いた方には、「感謝」の言葉しかありません。
現代では、時間の過ぎて行くスピードも速く、この様な物が「人知れず」忘れ去られて行くのが何とももどかしくて、どうにかして少しでも残したく、以前にデジタルカメラで撮影してあった物を編集し、小生の子供の頃から見聞きしていたことや、若干の解説を加えてひとまとめにしました。
築地で生まれ育った身としては、市場の豊洲移転も見据えて、江戸後期から明治期にかけて始まったとされる「絵びら」の文化を残せた事が何より嬉しく思っています。
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コメント
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初めましてヤナカと申します。突然ですが掲載されている本はどの様なところで見ることが出来ますか?・・・掲載から7年経ってしまっていますが!
私が幼い頃に、父が絵ビラを内職で書いていたものでした。(掲載されているような立派なものではありませんが) 色々調べていましたが、なかなか絵ビラに関しての情報が得ることが出来ませんでしたので
投稿: 谷中 茂 | 2020年11月11日 (水) 16時55分