「渡り初め」 (わたりぞめ)
新しい「橋」ができた時に、渡り初めのセレモニーが行われます。
なぜか、地元に住む親子3代の夫婦がそろって先頭を歩く光景が多く見られます。
佃大橋の渡り初め。昭和39年(1964)
波除神社の先代宮司が先導を務める (中央区フォトギャラリーより)
単純に考えると、3代の夫婦が健在であるという事だけでもお目出度く、珍しい事ですから、「橋」の開通式にはこの様な形になったのでしょう。
一説によると、聖武天皇時代に「橋供養」という橋梁竣功祭があったとして、資料が残っているようで、それよりも前から「渡り初め」があったようです。
夫婦3代の儀式になったのは徳川時代からの事だそうで、それまでは長老や老夫婦が先頭を歩く事もあったようです。
また江戸時代、日本橋の架け替えの折、老夫婦では無く、町奉行や与力が「渡り初め」をしたとの記述もあるようです。
元々、「橋」は木製で、川が氾濫したり、大雨により流失する事がたびたびありました。橋を架けるのにも、費用がかかり強固な物を作るには時間もかかります。
ですから、少しでも長く橋が使えるように神に祈願したのは、当然の事だったのでしょう。
明治44年 日本橋の開通式。
地元に住む、親子3世代の夫婦が渡り初めに参加している。
(京橋図書館資料より)
今でこそコンクリートや鉄骨で組み上げられた頑強な構造物ですが、木製の橋は、土台が腐ったり、流されたり、人の重みで落橋してしまったりと、自然との闘いの部分が多く、明治期まではその繰り返しだったのでしょう。
この様な儀式は、今でも全国的に行なわれているようで、徳川時代に始められたことを考えると、参勤交代もありその文化が全国的に発信されたのも納得できます。
伊勢神宮の遷宮の行事にも4年前に「宇治橋」が架け替えられ、夫婦3代の渡り初めの儀式が執り行われたそうです。
まず三代のうち、妻が先頭になり、夫、息子夫婦、孫夫婦の順に渡り初めが行なわれたようです。
東側(内宮側)から西側(町側)に渡るのが決まっているそうです。
宇治橋は「木橋」ですから、これらの事に合点が行きます。
現代の「橋」は、近代建築の技術発展おかげで、橋の寿命は飛躍的に延びました。
メンテナンスをして行けば、永代橋や、清洲橋の様に、震災復興事業の架け替えから80年以上使われている「橋」もあるわけです。
昭和5年(1930)竣功された清洲橋 (京橋図書館資料より)
佃大橋も50年、勝鬨橋も70年が経っていますが未だに現役です。
日本独特の「渡り初め」の儀式かもしれませんが、先人の知恵というものも、これから先も伝えて行かなければならないと思います。
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