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2013年10月 3日 (木)

半世紀前の「首都高速道路」

首都高は、昭和39年(1964)の東京オリンピックに向けて、突貫工事で開通させた有料道路です。もう完成から50年が経とうとしています

築地川も埋め立てられて、環状線の一部になりました。

S37

開通して間もなくの首都高。銀座内回りランプ付近。

銀座東急ホテルが、懐かしい。 (京橋図書館資料より)

昭和37年(1962)にまず、京橋~芝浦間が開通し、羽田空港につなげる為に、芝浦方向の1号線を延伸し、まずは鈴が森まで、そして羽田西まで延びました。

料金は100円でした。。

浜崎橋付近からは、モノレールと並走し、鮫洲の先で分離していました。今と同じです。モノレールに天王洲アイルに駅はありませんでした。浜松町を出ると、次は平和島でした。

芝浦~品川付近では、まだのどかな風景で、倉庫ばかりが並んでいて、鈴が森の出口付近には、まだ海苔を干している光景が見られました。

オリンピック開催時には「羽田西」(今の整備場)迄の開通でした。

羽田では、真新しい「羽田東急ホテル」がそびえていました。

羽田空港の駐車場には「穴守稲荷」の赤い鳥居だけがなぜか残っており、父が「これを移すと祟りがあるから、動かせないんだ。」と言っていたのを思いだしました。

オリンピック開催に環状線の全線開通は間に合いませんでした。

霞が関~芝公園は未開通で、4号線は初台迄、1号線は本町まででした。2号は未開通、3号は渋谷付近のみの開通でした。

環状線の全通は3年後の昭和42年(1967)です。

下の一般道は、信号ばかりで、悪路でしたから、カーブがきつい首都高でも快適でした。

S37_2

銀座東急ホテル(今の時事通信社)から見た首都高環状線(昭和37年)

(京橋図書館資料より)

平成32年(2020)迄には、様々な更新工事をしなければなりません。

首都高にしても芝浦~鈴が森間は汽水の川に作った構造物ですから、塩害が進んでいます。 

道路の上に蓋をかぶせて空中権を売り、建設費を捻出するというニュースも聞きますが、どうなるのでしょう。

道路をはじめ、地下鉄、新幹線、競技場等々、直す所ばかりですね。

築地周辺も、やっと晴海通りの拡幅工事が終わったのに、またうるさくなってしまうのかなとも思います。

いずれにしても突貫工事で後々問題が起こるような工事は困ります。

期待してオリンピックに間に合わせて欲しいです。

 




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