「文部省唱歌」と担任の先生
小生が小学校に上がった時の担任は、父の築地小学校の卒業式の写真にも写っていた女性の先生でした。昭和21年(1946)3月卒業の写真です。
当時はもう、還暦を過ぎていたかも知れません。祖母と大して年齢が変わらないと思っていました。
築地小学校旧校舎 (現、京橋築地小学校) (京橋図書館資料より)
まだ当時は、同じ学校での勤務を長期間できた時代でしたからこんな事があったのでしょう。
分かる方には、お名前を想像できると思いますが、その先生は1年生の小生のクラスに「文部省唱歌」を自身で作られた、オリジナルの小冊子を2冊も作ってくれて、色々と教えてくれました。
2クラス体制でしたし、音楽の先生もおりましたが、敢えて、時間を見てはみんなで歌っていました。
お陰様で小生は色々な「文部省唱歌」を沢山、今も歌う事ができます。
隣のクラスにも同じ冊子を配っていたようですが、そちらは空いた時間には体育をしていたそうで、羨ましく思ったものです。
しかし今思うと、この音楽の時間が有難く思います。
小生たちがその先生にとって、教師生活の最後の担任でしたからこのような事をされたのでしょうか?他の先輩たちにもしていたのかはわかりませんが。
歌から伝わる風景や情緒など、今の歌では感じられないリズム感は「唱歌」独特のものかもしれません。
具体的な曲名は、「花」、「朧月夜」、「夏は来ぬ」、「我は海の子」、「荒城の月」や「鎌倉」、「みかんの花咲く丘」などがあります。実際には何十曲あったのか、小冊子がもう無いので分かりませんが、相当あったと思います。
子供心には、暗く感じる歌もありましたが、明るい歌の方が当然好きでした。
聞いていると心が落ち着きます。
唱歌って良いですね。
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