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2013年10月26日 (土)

「京橋区の古地図」

昨今、地図マニアが増えているようです。古地図には現在と比較して当時、今住んでいる場所が、昔どんな所であったのかや、歴史小説を読んで、町の名前や、雰囲気を楽しむ為に、様々な時代のものが、復刻されているようです。

先日、昭和6年(1931)の京橋区の地図を頂いたので、興味深く見てみました。

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まだ、魚河岸が移転してくる前ですが、用地はもう確保されていて、都電も築地の郵便局の停留所まで延びています。

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この辺の「小田原町」もまだ、小生の知っている行政区分にはなっていません。

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小田原町は、南小田原町1,2,3丁目と南本郷町、上柳原町、南飯田町となっていて、まだ細かい住居表示はされていません。

以前から気になっていたフランスパンの「チャリ舎」が、今の築地7丁目、北海道漁連の場所にあった事が分かりました。

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中央が明石堀で、今の「あかつき公園」、消防署が、「日刊スポーツ印刷社」で、その下の「9」の所に「チャリ舎」が見えます。

「チャリ舎」は銀座にある「あんぱんの木村屋」と並び、築地7丁目にあったと聞いていましたが、木村屋の工場は消防署の上の「南」と書いてある位置にあったので、この時代はまだ、築地に来ていない事が分かりました。

チャリ舎」は明治の初めに、横浜から来た「チャリへス」というスイス人が始めた、本格的なフランスパンの工場でした。

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銀座の精養軒に乞われて東京に来ましたが、事故に遭い片腕を失ってしまい、それから独立して、築地にパン工場を作ったようです。

近くには米国大使館もあり、西洋文明華やかなりしころでしたから、さぞ珍しがられ、繁盛した事でしょう。

この地図は昭和6年なので、この頃までは存在していた事になります。

太平洋戦争が始まってからの事はまだ、調べていませんが、この事を調べていた方がいらっしゃるので、聞いてみたいと思います。

また、佃島は本当に、長崎の「出島」のような形をしているのが、面白いと思いました。

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住吉神社の位置が、今と同じで、掘割も健在です。

この地図も、もう80年近く前のものですが、歴史と共に貴重な資料になると思います。

「チャリ舎」については、また調べて、書きたいと思います。

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コメント

いろいろ調べていて此処に来ました。
現在築地6−2−4で飲食店営業をしている場所の昭和初期の地図を見たの初めてです!!
とても興味があって もっと鮮明な写真が見れたら!  と思い投稿しました!

京橋区銀座西6に祖父の会社があったことを父の遺品から知りました。この地図はどこで見られるのでしょうか。銀座西の部分を見たいです。

都絹商店 元店主の孫様
この地図は頂いたものです。これ以外は持っておりません。
他の物は、中央区の京橋図書館か、郷土天文館にお問い合わせいただいたほうがわかるかもしれません。

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