「岸壁の船」
今では、岩壁にいる船は時々見るくらいになりました。
この船は、東京~八丈島~小笠原と、島への漁船燃料や生活資材を輸送していて、島からも活魚を輸送できるよう通常の貨物艙の他に活魚艙、冷凍機、油艙を持っています。 平成4年(1992)の建造だそうです。
第三 八幡丸
いわば、マルチカーゴといえる貨物船で、もう一隻の「第一八幡丸」と一緒に運行している事が多いそうです。
この日も一緒に停泊していました。
第一 八幡丸 平成14年(2002)の建造
小笠原には、竹芝桟橋から週に一度、「おがさわら丸」が運行しているのは有名ですが、それを補完しているようです。
東京都漁連に所属する「八幡丸漁業運輸」が運航しています。
第一 八幡丸
先日の台風26号で伊豆大島が甚大な被害を受けましたが、この様な貨物船が縁の下の力持ちとして、普段から活躍しているのを改めて認識しました。
右上が第三 八幡丸。赤く見えるのが高潮用の水門。
戦後の築地は、漁船はもとより貨物船も多く入港していて、船舶向けの食料や資材を扱う業者が多くあり、今でも場内に「ガラスの浮玉」が飾られている店舗もあります。
築地で多くの物資を調達していた名残りです。
船員も多くいて、周辺の銭湯で黒く日焼けした人たちを時々見かけました。
今ではこんな光景は見られませんが、この岸壁にいかに沢山の船が出入りしていたのかを思うと、地方の漁港とは少し違う使命を持っていた「市場の港」だったのだと思います。
いま、少し下流で架橋工事が行なわれています。
左がかちどき地区、右が市場内から伸びる工事の関連棟。
この橋はもうここを、この様な船が入港できることを、前提に作られていないのかもしれません。
暫くすると、この辺は姿を大きく変えるでしょう。
変貌して行く景色を少しでも画像に残して行きたいと思います。
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