「築地精養軒」
明治維新と共に、外国人が多く東京にも住むようになり、西洋料理の需要が高まりました。
三条実美や岩倉具視の支援により、明治5年(1872)2月に丸の内の馬場先門に開業したそうですが、開業当日に起こった「銀座大火」により焼失してしまい、その年の内に当時の築地3丁目で開業したそうです。
明治44年、現在の時事通信社のある所にあった「築地精養軒」
(京橋図書館資料より)
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明治維新と共に、外国人が多く東京にも住むようになり、西洋料理の需要が高まりました。
三条実美や岩倉具視の支援により、明治5年(1872)2月に丸の内の馬場先門に開業したそうですが、開業当日に起こった「銀座大火」により焼失してしまい、その年の内に当時の築地3丁目で開業したそうです。
明治44年、現在の時事通信社のある所にあった「築地精養軒」
(京橋図書館資料より)
浅草というと、浅草寺ですが、その入り口に「雷門」があります。
奉納は「松下電器産業」(現在のパナソニック)ですが、創業者の松下幸之助が奉納した事は有名な話です。昭和35年(1960)の事でした。
三社祭の時の畳まれた状態の「雷門」の提燈
新任の外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧呈する儀式で、以前は東京駅丸の内中央口付近から 行なわれていました。
大使一行の皇居への送迎に際しては,大使の希望により,皇室用の自動車か馬車が提供されていますが、ほとんどが馬車の送迎を希望されるそうです。
信任状捧呈式の馬車列 (宮内庁HPより)
昨今、地図マニアが増えているようです。古地図には現在と比較して当時、今住んでいる場所が、昔どんな所であったのかや、歴史小説を読んで、町の名前や、雰囲気を楽しむ為に、様々な時代のものが、復刻されているようです。
先日、昭和6年(1931)の京橋区の地図を頂いたので、興味深く見てみました。
新しい「橋」ができた時に、渡り初めのセレモニーが行われます。
なぜか、地元に住む親子3代の夫婦がそろって先頭を歩く光景が多く見られます。
佃大橋の渡り初め。昭和39年(1964)
波除神社の先代宮司が先導を務める (中央区フォトギャラリーより)
「ななつ星 in 九州」は、先日の10月15日に運行を始めた日本初のクルーズトレインです。機関車と客車7両は全車新製です。
なによりその豪華な客車と旅行費用が話題を集めているようです。
ななつ星 in 九州のイメージイラスト (JR九州HPより)
小生が小学校に上がった時の担任は、父の築地小学校の卒業式の写真にも写っていた女性の先生でした。昭和21年(1946)3月卒業の写真です。
当時はもう、還暦を過ぎていたかも知れません。祖母と大して年齢が変わらないと思っていました。
築地小学校旧校舎 (現、京橋築地小学校) (京橋図書館資料より)
「東京スカイツリー」は「東京タワー」に代わって在京キー局のテレビ電波を送信する目的で建設されました。
634mの高さは、「武蔵の国」の”む=6、さ=3、し=4”に因んでいるのはもう、周知の事です。
高尾山とほぼ同じ高さだそうです。
もう何度か登った方もいらっしゃるでしょう。
今日は「鉄道の日」ですので、チョット鉄道関連のことについて、書いてみます。
新橋から上野迄、JR線は煉瓦造りの高架橋になっていて、踏切がひとつもありません。
これは、東京駅が開業した時大正3年(1914)からのことです。
新橋第一ホテル前の煉瓦の高架橋。
のれんは、もともと塵除けや埃除け、間仕切り用として使われて来ました。
古くは、平安時代の末期頃から使われていた絵を見た事があります。
鎌倉時代になり、布に文字や印を書いたものが現われてきたようです。
小店では、今も布地に直接下絵を書いています。
木綿に藍花液で直に下絵を書きます。今でもガラスペンを使います。
「佃大橋」はもともと、「佃の渡し」として、江戸の昔からあったものが、「佃渡船」という東京都が運営していた無料の渡し船を経て、昭和39年8月27日に開通しました。
明石町側から見た「佃大橋」 まだ聖路加タワーは無い。
(中央区フォトギャラリーより)
「水上警察署」と言うと、それまでの「東京水上警察署」が「踊る大捜査線」にあやかって、「東京湾岸警察署」に名前が変わりましたが、昭和30年代迄、明石町の「治作」の隣に「水上警察署」がありました。
昭和30年代、左が「治作」 右奥に「聖路加病院」
中央に舟艇庫が見える。その後ろが庁舎。
(京橋図書館資料より)
東京駅の八重洲中央口に先日、「グランルーフ」という商業施設がオープンしました。
以前は、八重洲中央には大丸のビルがあって、ランドマークになっていましたが、再開発に伴なって取り壊され、中央は広い空間になりました。
東京駅八重洲口「グランルーフ」の大屋根
日本劇場(日劇)は昭和8年(1933)に、今の有楽町マリオンの場所にあった娯楽の殿堂でした。
昭和8年、できたばかりの「日劇」、その手前が「泰明小学校」
まだ、外濠川が埋め立てられていない。奥は「東京駅」方向。
(京橋図書館資料より)
首都高は、昭和39年(1964)の東京オリンピックに向けて、突貫工事で開通させた有料道路です。もう完成から50年が経とうとしています
築地川も埋め立てられて、環状線の一部になりました。
開通して間もなくの首都高。銀座内回りランプ付近。
銀座東急ホテルが、懐かしい。 (京橋図書館資料より)
伊勢神宮の遷宮行事のクライマックスとなる内宮「遷御の儀」が今日10月2日に、また外宮「遷御の儀」は5日に行なわれます。
20年に一度、内宮の祭神「天照坐皇大御神」”あまてらし ますすめ おおみかみ” (一般的には天照大御神)と外宮の祭神「豊受大御神」”とようけのおおみかみ”に新しく建てた「新宮」に移っていただく為の、儀式です。
内宮正殿 (伊勢神宮HPより)
昭和通りは、地下にバイパス道が走り、地下から駐車場に入る事もでき、またその下に、「都営地下鉄 浅草線」が走ったりと複雑な構造ですが、便利な道です。
築地周辺の方は、昭和通りと言うとやはり、三原橋交差点あたりを想像すると思います。
昭和8年(1933) できて5年経った昭和通り(左側の道)
中央が「歌舞伎座」 (京橋図書館資料より)
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