「かき船」 その2
築地川に「かき船」があった事は以前に書きましたが、本場広島の「かき船」が、国の「元安川の河川占用不許可」の方針を打ち出した事によって、来年以降は、もしかしたら商売ができなくなるようです。
築地川の「かき船」は、昭和30年代の初めごろ頃まで、営業していたようです。
晴海通りの万年橋から見た「かき船」(右側)
左の高い建物は現在のNTT(昔の東銀座電話局)
昭和30年頃 (中央区フォトギャラリーより)
広島の「かき船」は、2店あり、「かき船、かなわ」が、昭和39年(1963)から、「かき舟、ひろしま」が、昭和43年(1967)から営業しているそうです。
川に浮かぶ船ですから、台風の時に、漂流物によってワイヤーが切れて、2店舗とも平和大橋に衝突した事があるそうで、安全面で川の占用許可を今後出さない方針だそうで、来年度以降はどうなるか、存続の危機にあるそうです。「かなわ」は、銀座6丁目に支店があるそうです。(船ではありません。)
営業開始日から見ると、築地にあった「かき船」の方が古かったようですね。
「かき船」は信州、松本にもあり、松本城のそばの、お濠にあるそうです。意外な所にあるので、行ってみたいと思いました。ここは、固定されているようです。屋号は、そのものズバリ、「かき船」と言うそうです。
もう、80年近く営業しているそうなので、築地の「かき船」よりも古いかも知れません。
現在、この3店舗以外、浮かんでいる「かき船」は無いようですが、大阪にも以前はあったそうです。
昭和30年(1955) 築地川のかき船「ひろしま」。
後ろの建物は現在の「東劇ビル」
(中央区立郷土天文館資料より)
色々と、調べているのですが、築地の方はいつごろから営業していたのかが、わかりません。しかし、写真や、絵をみると、まだ綺麗になっているので、戦後からではないかと推測されます。メニューもどんなものが供されていたのかが気になります。
多分、広島の「かき船」で出されているメニューと、「生食」以外は、さほど変わらないと思います。
昭和39年(1964)のオリンピック開催が決まった事により、築地川に高速道路が通る事になって、急速に工事が進んで行きました。
築地川は、昭和35年(1960)頃から埋め立てが始まったようです。
昭和35年(1960) まだ中央に「かき船」の屋根が見える。
右のビルは現在のNTT(昔の東銀座電話局)
東京タワーが右奥に写っている。埋め立て開始直前の物と思われる。
(京橋図書館資料より)
築地川の工事で出てきた、古い江戸時代の茶碗などが、小生が築地小学校に通っていた時に、資料室に飾られていたのを思い出しました。
埋め立てが完了するとすぐに、真新しい高速道路が完成しました。
かき船は、中央に写っている首都高外回りの銀座ランプのあたりに浮かんでいました。
手前の広い道路は、晴海通り、左側が銀座方面
(京橋図書館資料より)
写真を見ただけでも、近代的になって来たのがわかりますが、都電と、コンクリート車(まだ、ミキサー車になっていない)が時代の古さを感じさせます。
2020の東京オリンピックが決定し、この50年前の事を振り返ると、この時点で東京が、今の様な都市化の基礎が出来上がってきていた事がわかります。
しかし、その高速道路も半世紀が過ぎ、劣化が激しく、更新しなければならなくなっているようなので、開催までには、どこまで完成するか分かりません。
50年前、築地川に「かき船」があった姿が、高速道路に変りましたが、これから50年後には、どんな姿になっているのでしょう。
そこまで、長生きはできませんが、築地周辺の色々な街の様子は見続けて行きたいと思います。
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