中央区立「柏学園」
「柏学園」には朝海幼稚園の頃から、「いも掘り」に行っておりました。
今から半世紀近く前の事です。
旧、柏学園。右が体育館。中央が宿泊棟。左が食堂。
道が未舗装。 昭和42年(1967) (中央区フォトギャラリーより)
小学校の低学年迄は、中央区の「移動教室」という名前の「バス」に乗って移動しておりました。
昭和31年(1956)中央区移動教室の「バス」。 水色っぽい色でした。
(京橋図書館資料より)
小生の頃にはもう、ボンネットタイプでは無かったような気がします。いつも2台で運行していました。
築地小は、当時1学年が2クラスしか無かったので「2台」と言う記憶があるのかもしれません。
必ず、車酔いをする子がいて、青い顔をしてビニール袋を抱えていたのを憶えています。
柏は今では通勤圏ですが、当時は未舗装の道も多く、時間がかかった憶えがあります。
学園に着くと「いも掘り」が始まります。
畑は学園の後ろにありました。 (中央区フォトギャラリーより)
サツマイモがどのように成っているのか、葉っぱはどんな形なのか観察しましたが、あまり憶えていません。
収穫後の友達と食べるお弁当が楽しかった思い出です。
お土産のサツマイモを持って帰るのも勿論楽しみでした。
小学校時代には、ジャガ芋や落花生の植え付けや収穫にも行きました。
落花生はその字の如く、花が終わると土の中に潜っていき、そしてそこにあの、「ピーナッツ」が成るという事をここで学びました。
5年か6年生の時だったと思いますが、柏学園に林間学校で行くと、築地小恒例の「肝試し」”きもだめし”がありました。
中央奥が宿泊棟。柏学園には150mか200mの土のトラックがありました。
中学の運動部の合宿で利用していました。 (中央区フォトギャラリーより)
「肝試し」は夜に行われます。
宿泊棟の前がスタート地点で、この写真のトラックの左手前に学園の正門があり、そこから時計回りに学園の外の道を半周して、手賀沼のほとりから山を登って、スタート地点に帰るコースでした。
当時、学園の周りには、家も少なく街路灯などはありませんので、真っ暗な学園の外の道を、校長先生の指名の順で懐中電灯を持って、一人で出発しました。
女子は二人でひと組だったような気がします。
途中、「蚊」にも喰われ放題でしたが、ようやく「虫よけスプレー」が出てきた頃でしたので、みんな貸し借りをして薬臭かったです。
切り通しの様な所もあって、道に迷わないように、分かれ道には先生が立っているのですが、みんな生徒を驚かせます。真っ暗な道から急に怪しい人影が出てくるのですから、ビビらない訳がありません。
小生は、なんとかゴールにたどり着きましたが、泣きべそで帰ってきてしまう子もおりました。
学園全景。肝試しはここから左手前へスタート、右裏手から戻ってきてゴールでした。
(中央区フォトギャラリーより)
ゴールに着いて安心していると、校長が小生に「最後は○○君だと××先生に言って来てくれ!」と指名され、仕方なく逆コースで伝令に行きました。
携帯電話など無い、超アナログな時代でしたので、暗い道を逆に歩きながら、小生も友達を驚かせておりました。
数年前に「柏学園」に行って「肝試し」のコースを思い出しながら歩いたのですが、宅地ばかりで、「闇」がひとつも無くなっておりました。
中学では夏の合宿で来ていました。体育館もあって一日中バレーボールをしたり、トラックで走っていました。
冷房など、まだほとんど無い時代でしたが、今ほどの、射すような暑さは感じませんでした。
中央区の幼稚園や小中学校を出た方には、少なからず「柏学園」の思い出があるでしょう。
臨海学校は「館山学園」、秋には「小諸学園」がありました。
みんな楽しい思い出です。
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