「都電36系統」
都電36系統は昭和46(1971)年3月17日に廃止されるまで、築地と錦糸堀(今の、錦糸町駅前)を結んでいた都電でした。
末期の36系統。終点「築地」の停留所。
ここで折り返すので、行き先の方向幕は「水天宮錦糸堀」
今の平成通り「植むら」前。 (中央区フォトギャラリーより)
小生が、築地小学校に通っている間、5年生まで「都電36系統」の電車が走っていました。
都電はもう、あちこちで、廃止になっていましたが、比較的最後まで残っていたのが、この36系統でした。 詳しくは>http://homepage2.nifty.com/kisya/toden36.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/osushiyo/romen16.html
今の錦糸町行きのバスと、ほとんど同じ経路をたどっていましたが、都電は、そのまま折り返しが出来るので、給電する「ビューゲル」(パンタグラフの様な物)を反対方向に倒して、折り返しをしておりました。
架線をテコにして反対に倒れるので、架線に火花が散っていました。
築地から乗る乗客。ちゃんとした乗降場が無い。
「築地停留所」 (中央区フォトギャラリーより)
以前にも書きましたが、築地小の3階のトイレの窓から、この光景が良く見えて、6年生に上がるまで、この景色を見ていました。
都電は「チンチン電車」と呼ばれましたが、これは車内で出発合図の時に、車掌が紐を引っ張ると、鐘が「チンチン」となるのでこのように親しみを込めて呼ばれていました。
ワンマン運転になっても運転士が出発の合図として、鳴らしていました。
当時はもう、交通量が多く邪魔者扱いにされていた「都電」でしたが、利用者が多かったのか、ここは頻繁に電車が来ていました。
(中央区フォトギャラリーより)
丸っこい3000形の電車ばかりではなく、スリムな7000形や8000形の電車も走っていました。
しかし、都電廃止の計画は止まらず、「都電荒川線」のみを残し、他の路線はすべて、廃止になってしまいました。
最盛期の、都電路線図。
今の都バスの路線と比較すると、そのほとんどが同じなのが面白い。
都電は今の、地下鉄や、路線バスにその走行経路を残し、無くなってしまいましたが、路面電車の復活の機運が高まりつつあるようです。
現に、富山や熊本では最新型の「路面電車」が走っています。
昭和55年3月にはレールの撤去作業も行われました。
開通は華々しいけれど、廃止は寂しく感じます。
新富町にて (中央区フォトギャラリーより)
まだ、決定の前に書いていますが、オリンピックの東京招致決定によっては、路面電車が復活するかもしれません。
晴海通りを走る「都電」にもう一度乗ってみたいと思います。
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