2020 「東京オリンピック開催決定!」
昭和39年(1964)に開催されて以来、56年の時を経て、本当にもう一度開催されることになりました。
当時の事を思い出すと、父にせがんで、「見に連れて行って!」と言っておりましたが、「そのうちに。」と言われたまま、閉会してしまいました。
でも、三宅選手の「重量挙げ」、東洋の魔女の「バレーボール」、「マラソン」のアベベ選手の事は憶えております。テレビにかじりついて見ていました。
新聞を丸めて、聖火ランナーのまねをして走り回ってもいました。
首都高がまず、鈴が森迄開通し、出口にはまだ、「海苔」が干してあったのを思い出しました。信号が無い道路と言うのが、何と快適なものなのかと思いました。
モノレールの試乗会があり、町会の子供たちで、城南島?の車庫に試乗に行った事もありました。当時は、日立モノレールでした。
首都高と並走するモノレールは、上野動物園の吊り下げ式の短距離の物しか乗った事が無かったので、こんなに速いのか!と言う事と、下が見えない怖さがありました。
首都高が羽田まで開通してからは、羽田空港に見学にも行きました。
飛んでいる飛行機しか見た事が無かったので、空港では旅客機が物凄く大きく、エンジンがうるさいのを耳をふさぎながら見ておりました。
カラーテレビも普及し、東海道新幹線も開催の9日前に開業しました。
このように、実際体験した思い出は、今も鮮明に覚えております。
2020年に向けて、これから日本も明るい雰囲気が芽生えて行けば有難いと思います。社会の閉塞感が、世の中の末端まで早期に払拭されれば、オリンピックに向かっての明るい希望が開けて行くのではないでしょうか。
東日本大震災の復興にも弾みがつけば尚更良いと思います。
若い世代や、子供たちにもこのような経験が出来るのは、とても良い事だと思います。
中央区は晴海が選手村の建設用地になっています。
築地は市場の豊洲移転も加速されて行くでしょう。
東京の臨海部は開催までに大きく今の姿を変えて行きます。
是非、みんなが希望の持てるオリンピック ・パラリンピックが滞りなく開催されれば本当に良いと思います。
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