「神輿」が帰ってきた!
小生の町会の神輿は、大人神輿、子供用の中神輿、小神輿、の3基と、担ぐ事が出来るようになっている、雌雄一対の獅子頭とを合わせて、5基あります。
先日、祭礼の後に、修理に出していた「中神輿」が「神輿屋」から帰ってきました。
修理が終わって、帰ってきた「中神輿」。
もう、作られてから、60年以上経っています。人間でいえば、還暦を過ぎています。
今回は、大がかりな修理では無く、支柱に付いている、楔(くさび)の緩みや、欠損部品の作り替えなど、細かい補修でしたが、しっかり組みあがってくると、やって良かったと思います。
小さい神輿では、さほど重要ではないのですが、楔の緩みは、大人神輿にとって、屋根の横揺れに繋がり、担いでいるうちに、壊れてしまう危険性があります。
「中神輿」の、屋根の裏側。 このサイズでも結構細かい造作が施されている。
釘を使わない、寄木式の組み立て方なので、支柱についている「楔」(くさび)の緩みについては、いつも気にして見ています。
昭和20年代の後半に、町内の有志が、資金を集めて廻りの町会に負けないような「神輿」を残してくれました。
波除神社の祭礼では、「水」は掛けませんので、比較的作られた時代の姿をそのまま残しているのではないのでしょうか。
「中神輿」の鳳凰
しかし、担ぎ棒は、60年も経つと、ひび割れや、接合部の穴などがダメになってきていて、近いうちには新調しなければならないと思っています。
今年の「中神輿」の渡御。
担ぎ手の子供たちにも「神輿」の事に興味を持ってもらいたいと思っていますし、なにより、若い親御さんにも関心を持ってもらえるようにして行かなくては、これからの「祭」が続きません。
幼な心の思い出に残るような「祭」にしたくて、子供用の貸出し半纏を2サイズ作ったりして、気軽に参加できるようにしていますが、神輿から離れないような子供はもういなくなりました。
しかし、中央区は人口が増えて来ていますので、なんとか、東京オリンピック迄には、この世代の子供達が、町内の若い「神輿大好き人間」に育ってくれたらイイナと思います。
神輿台座に飾られた丸い飾り金物には「小田二」と彫りこまれている。
これは、神輿が出来た当時の町名で「小田原町二丁目」の略称である。
これを書いていて、気が付きましたが、東京オリンピックが開催される時は、当町会が「波除神社つきじ獅子祭」の当番に当たります。
開催は7月で、祭礼は6月になりますが、この一大行事に向けて何か考えて行かなければなりません。
やはり、町がひとつになって盛り上がれるのは、「お祭り」が一番だと、個人的には思っています。
「神輿」もその「中核」になるよう、手を施しながら、守り続けて行かなければなりませんね。
« 中央区立「館山臨海学園」 | トップページ | 「市場の岸壁」点描 »
「小田原町」カテゴリの記事
- 「40数年前の築地」(2014.08.21)
- 「波除さんのお神酒」(2014.06.25)
- 「居留地中通り?」についての独り言(2014.06.02)
- 波除さんの「鯉のぼり」(2014.05.04)
- 「勝鬨橋4態」(2014.05.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント