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2013年9月17日 (火)

「三原橋」と「三十間掘川」

三原橋と言うと、「交番」が思い浮かぶ世代ですが、戦後まで、ここに「三十間堀」があって、川が流れていました。

ですから、ここに架かっていた橋が、「三原橋」だったのです。

Photo_4

ありし頃の三原橋。 (京橋図書館資料より)

鉄砲洲神社と赤坂、日枝神社の「お祭り」が分かれているのもこの川が境界となっていましたので、今でも昭和通りから一本銀座中央通り寄りの道までが、鉄砲洲の神域と言う事になります。

東銀座と西銀座という、昔の地名もここで呼び名が変わりました。

S23

左が歌舞伎座方向、下が三原橋、奥は木挽町橋。

(京橋図書館資料より)

戦後、戦災がれきの処理の為に、その瓦礫で三十間堀川を埋め立てる事になり、昭和23年(1948)~昭和32年(1957)頃までに、京橋川から汐留川までの間を埋め立てました。

Photo_2

三十間堀の埋め立て。昭和24年(1949) 三原橋~木挽橋間。

(京橋図書館資料より)

「三原橋」という名前は、晴海通りと昭和通りの交差点の名前として今も使われています。

つい先ごろ閉館したシネパトス1,2,3はまさに、三原橋の下にあった映画館と言う事になります。

地下鉄日比谷線は、そのまた下を通っています。

201389_085

今も、一軒だけ、三原カレーコーナーと言う店が営業していました。

201389_107

地上は、お馴染みの建物が残っています。

201389_120_2

京橋側は、昔とあまり変わらない。レコード屋(死語)の「ミヤコ」は古くからある店。

201389_123_3

新橋側は、昔とは変わっています。

ここ以外は、三原橋交差点の大野屋と改造社の社屋ぐらいが、昔の面影をとどめている建物です。

交番には昔、「トラ箱」という酔っ払いの一時収容所みたいな施設があって、暴れて、手に負えない「大トラ」を強制的に連れて来ていた様です。今は、「大トラ」は見なくなりました。

暮れになると、ここで、新年のしめ飾りを売る、鳶職の「ガサ小屋」が出ていました。

Photo_3

三原橋交番のすぐ横の「歳の市」の「ガサ小屋」

Photo

昭和30年代の三原橋。アメ車が時代を感じさせる。 

(京橋図書館資料より)

201389_115

この、三原橋の地下街も再開発が進もうとしています。

ここから銀座4丁目の交差点方面を撮った写真を比べて見て下さい。

201389_122

上の画像は現在のもの

S42

昭和42年(1967) まだ、都電の線路が残っている。

三菱マークがある所が、現在「RIKOH」になっている。

(中央区フォトギャラリーより)

当時は、中央通りと銀座4丁目周辺だけが明るく照らされていて、昭和通りを越えると、築地方面はいきなり暗く感じたものです。

歌舞伎座は、同じ外観で建て直されましたが、三原橋地下街の再開発で、記憶の中の昭和の面影が、またひとつ、消えて行きます。

少し、寂しさを感じた、三原橋界隈です。

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コメント

2014年8月3日(日)三原橋の未来と価値を検証する 緊急シンポジウムを 14時から 東京国際フォーラム G505会議室で 開催します。皆様 是非ご参加を。

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