明石町 「中央保健所」
子供の頃は、何となく古くて、決して綺麗とは言えない外観から、親に連れて行かれる以外は、前を通り過ぎるくらいであまり印象は残っていません。
正面玄関 (中央区フォトギャラリーより)
しかし、調べてみると結構面白い事がわかりました。
関東大震災の直後から、アメリカ、ロックフェラー財団からの援助を受け、公衆衛生の専門家の養成と訓練の為の機関を、東大に「公衆衛生院」、所沢に「農村保健館」、そして明石町に「都市保健館」が設置されました。
まず、昭和10年(1935)、「東京市特別衛生地区保健館」として誕生し、2年後にこの写真の庁舎がロックフェラー財団から寄贈され、「京橋保健所」と改称され、昭和19年(1944)には「東京都立中央保健所」となりました。
ですから、本格的な保健に関する施設としての「中央保健所」は「日本初」の機関だったという事なのです。
昔は、明石堀と聖路加病院の施設に囲まれ、静かすぎる環境でどこか寂しいような気がしました。
明石堀の埋め立て前の裏側から見た「中央保健所」
(中央区フォトギャラリーより)
現在では、明石堀が埋め立てられ、「あかつき公園」ができ、聖路加の新病院が建設され、廻りの環境は一新しましたが、聖路加病院の周りには緑地帯と遊歩道が整備されていますので、閑静な環境は今でも残っています。
明石町には「日本初」のものが本当にたくさんありますね。
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