「永代橋」 (えいたいばし)
永代橋は、両国橋と並んで、江戸幕府にとって重要な橋でした。
江戸三大祭と謳われた大きい祭とは、神田神社、日枝神社それと深川、富岡八幡宮の祭になりますが、深川へ行くには永代橋を渡らなければなりませんでした。
現在の「永代橋」
今の橋に至るまで、何度か、架け替えられました。
初めに架けられたのは、元禄11年(1698)に、五代将軍「徳川綱吉」の50歳の祝いとした架けられたそうです。
当時はもっと上流の「深川の渡し」の場所に架かっていたそうです。
当時、隅田川」には三つの橋しか架かっていなくて、4番目の橋としてデビューしたのが「永代橋」でした。幕府にとっても重要な橋でした。
しかし、財政難との理由により、一時は落橋する事になりそうな時期もあり、町衆が、通航料を取って、「橋」を維持させて来ましたが、運の悪い事に、富岡八幡宮の祭礼に多くの人が集まり、その重みに耐えられず、最初の橋は落橋してしまいました。
その後、すぐ木製で架け替えられたようですが、傷みが激しく、明治30年(1897)に、日本初の鋼鉄製の道路橋として、再架橋されました。
橋底に木材を多用していた為に、関東大震災で焼失、多くの犠牲者を出したそうです。
明治期の「永代橋」 (京橋図書館資料より)
震災復興事業の第1号として、大正15年(1926)に現在の橋が架橋され、現在に至っております。
永代橋の下を「屋形船」が行く。
永代橋のすぐ下流には地下鉄、東西線のトンネルが通っていますが、これはまず最初に陸上で壁に当たる「ハコ」部分を組み立て、埋めてから繋いでトンネルを作ったそうです。
地下鉄東西線の、潜函工事 (土木学会資料より)
箱部分と陸部分の境界には、緊急時の水の浸水を防ぐ、分厚いシャッターが取り付けられているそうです。(どんな形かは分かりませんが)
補修を繰り返しながらおよそ、90年近く経っている「永代橋」ですが、平成19年(2007)に国の重要文化財に清洲橋、勝鬨橋と共に指定されたそうです。
3つの橋は、姿が良いですね。
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