「晴海埠頭」 (はるみふとう)
「晴海埠頭」は戦後、本格的に開発が始まりました。
昭和30年代には、子供ドラマ(ナショナルキッドor少年ジェット?)などの撮影地にもなっていました。
休日には、のんびりと「波止場」の雰囲気を楽しみに訪れる人も多くいました。
我々兄弟は、父によく連れて行ってもらいました。
晴海から豊洲の東京ガスの工場を臨む。
(京橋図書館資料より)
今では同じ所が、
こんな感じになっています。右側の建物が「ガスの科学館」です。
ここの右側に架かる、晴海大橋を隔てて豊洲新市場の用地が広がります。
晴海大橋は、晴海通りをまっすぐ渡って、対岸の豊洲方面に直線で行ける、新しい「橋」です。 橋の右奥が豊洲新市場の工事現場。
小生の幼稚園から小学校低学年の頃の休日の晴海はのんびりしていました。
休日の晴海埠頭。 (京橋図書館資料より)
立入禁止だったようですが、全くフリーで、入っていました。
訪れる人も多く、ほとんど皆、船を見に来たり、散歩をしたりしていました。
クレーンの形が時代を感じさせます。
昭和37年(1962) 稼働中の晴海埠頭。
(京橋図書館資料より)
小学校の低学年の時には、客船ターミナルの方で「東京都みなとまつり」という行事が行われていて、大型の客船が停泊しており、築地小では、ここで写生会をしに学年全員で行って、船の絵を書いて出品しました。
たまたま、その絵で都知事の表彰状をもらい、当時有楽町にあった、東京都庁で表彰式があり、帰りに「そごうデパート」(今の、ビックカメラ有楽町店)で祖父に、ご褒美のおもちゃを買ってもらいました。
当時、テレビで流行っていた、「キャプテンスカーレット」の磁力装甲車?の金属製のものを買ってもっらったと思います。(記憶が不鮮明ですが、、)
また、隣の町内に、海上自衛隊のOBの方がいて、合同の町会行事として、子供達や大人も集めて、晴海から自衛隊の護衛艦(だったと思う)に乗って、横須賀まで乗せていってもらった事がありました。(片道だけだった記憶があります。)
話が脱線してしまいましたが、晴海では、昭和37年(1962)に、鉄道90周年の企画として、亀戸から繋がっていた貨物線の線路を利用して、晴海まで運び入れた、当時の最新型の車両や有名な車両を展示する、
「鉄道開通/毎日新聞創刊90周年記念 鉄道博 伸びゆく鉄道科学大博覧会」 というイベントが開かれました。
昭和37年(1962) 汐留駅(旧、新橋停車場)が再現されている。
右奥は、晴海の国際展示場。
父に連れられて、見に行った記憶があります。
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2013/06/post_385.html
http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-06-01
http://www.noble-joker.com/nj_home/@1okuno/tetsudouhaku/index.htm
今も豊洲と晴海の間に錆びた鉄橋が残っていますが、かつては東京都の臨港線(貨物専用)が通っていて、都のディーゼル機関車が入れ換えを行なっていました。
現在では、小野田セメントのプラントが臨港線があった当時の面影を残しているくらいです。
貨物の引き込み線は、客船ターミナルのすぐ近くまで伸びていました。

晴海倉庫脇の貨物線。 ボンネットのトラックが懐かしい。
(京橋図書館資料より)
豊洲方向から南方向を見た貨物線。左奥が鈴江倉庫。
(京橋図書館資料より)
客船の旅立ちには、五色の紙テープを船から投げて、出航する船の乗客と、それを陸で見送る家族や友人が、お互いの繋がった紙テープが切れるまで、名残り惜しそうにしている光景が、今ではとても懐かしい記憶として蘇ります。
晴海埠頭での、客船の送迎風景。 (京橋図書館資料より)
南極観測船「ふじ」の出航は、何度か見に行った事がありますが、この時にも、五色の紙テープがとても沢山、その別れのシーンを演出していました。
名古屋港のガーデンふ頭に係留されている「ふじ」
(Wikipediaより)
紙テープが切れる瞬間が、何とも言えず、子供心に甘酸っぱく残っています。
東京モーターショーも晴海で開催されていた時期があり、国内外の最新の車を見に、多くの人が来ていました。
「イベントコンパニオン」などと言う言葉も無い頃、車の傍らに立って、笑顔を振りまいている「お姉さん」達は、みな綺麗に見えました。
また、冬は丸いドームの中にアイススケート場が作られて、ここで初めて、スケートをしました。貸出しのフィギュアの靴が履きずらかったのを憶えています。
転ぶのが嫌でしたが、体が言う事を聞きませんから、あまり楽しくは無かったです。体中あざが出来ていました。
夏にはプールもあり、小3まで泳げなかった小生は、弟と一緒に母の特訓をここで受けて、少し泳げるようになりました。
翌日、学校の水泳の検定で、赤線1本をもらい、勇んで家に帰ったら、母が熱を出して寝ていたという、「オチ」が付くような、懐かしい思い出もあります。
”カナヅチ”の倅(せがれ)どもを泳げるようにする為に、頑張りすぎたのでしょうね。
ブログを書きながら、振り返ると、自分自身で思い出しても、ビックリするほど、晴海では色々な事がありました。
これから東京オリンピック開催に向け、選手村の用地としても変貌して行くでしょうが、形は変わっても、幼少期の思い出がいっぱい詰まった「晴海」です。
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