「秋の七草」と、のれんの「衣替え}
春は、「芹」(せり)、「薺」(なずな)、「御形」(ごぎょう)、「繁縷」(はこべら)、「仏の座」(ほとけのざ)、「菘」(すずな)、「蘿蔔」(すずしろ)です。
「草」のイメージで、形があまり思い出せません。
秋は、「萩」(はぎ)、「桔梗」(ききょう)、「葛」(くず)、「女郎花」(おみなえし)、「藤袴」(ふじばかま)、「尾花」(おばな)、「撫子」(なでしこ)です。
こちらは「花」なので、色と形がイメージできます。食べられませんが。
「撫子」はサッカーの”なでしこジャパン”で有名になりました。
お彼岸を過ぎ、急に「秋」らしくなって来ました。
「秋の七草」の事を言う様になると、いつも思う事があります。
小生の店は、「のれん作り」を商いとしておりますが、昨今、「のれん」の季節感がだんだん無くなって来ているように感じます。ほとんどの食材が、季節とは関係なく、一年中出回る時代ですから、無理もない事なのでしょう。
学生の制服の様な「衣替え}の習慣が、「のれん」にもあるのですが、一年中同じ物を掛けていらっしゃる店舗が本当に多くなりました。
いつ、洗濯するのだろうかと思ってしまいます。
以前は、六月から「夏物」(主に白がベースのもの)、十月から「冬物」(主に紺色がベースのもの) それと、正月に「新年用」と掛け替え、多い所では三枚以上の「のれん」を持っている「お店」が結構ありました。
茶箱いっぱいに、開店した時からの「のれん」を綺麗に洗濯して、防虫剤を入れて、捨てずにとってある「飲食店」の方もいらっしゃいました。
また、処分するにはどうしたら良いのかと聞かれ、神社でのお焚き上げを勧めたりもしておりました。
今から15年位前までは、築地の仲卸の発注もあり、それぞれの季節には、得意先に「贈り名前」を染め抜いて、よく贈られたものです。
使う側が忘れていても、「仲卸」は「先取りの旬の素材」の入荷でいち早く季節感を感じて「のれん」を贈り物としていたということなのでしょう。当然、他店からの営業を防ぐ、防御策だったという事もあったでしょう。
また、リーマンショック前迄は、景気も今と違って、全体に好景気だった事もあり、五月とお中元の時期と九月それに、歳暮の時期の十二月は、「のれん」の注文を多く頂きました。
贈られた店も、季節の変わり目を表わす意味でも、また店の雰囲気が変わるという意味でも、「のれんの衣替え」は良い習慣だったのではないでしょうか?
当然、今も「衣替え」をされている店舗は多くあります。
普段、掛けっ放しの汚れた「のれん」を洗濯したり、繕ったりすることもできる良い機会でもありました。
小生も商売ですから「のれん」に人一倍関心があるのは当たり前ですが、季節の変わり目に、チョットした変化があるだけで、お店の雰囲気が変わる事だけは、確かだと思います。
一度作ったら、破れて裾が無くなっている「のれん」を「良し」とされている方もいらっしゃいますが、それは違います。
手を入れて、色が褪せても、少し「シミ」が残っていても「小奇麗」にしているのが「良し」という意味なのです。破れているのはやはり、見た目にも頂けません。
また、繁盛店の「のれん」を少しちぎって持って帰ると、自分の店も「お裾分け」にあずかれるという故事も聞きますが、これも、ちぎれるような古い「のれん」になってしまった物をいつまで掛けていると、逆に「繁盛の福」を人に持っていかれてしまうという、切られた側への戒めの意味もあるという事を聞いております。
なかなかこの御時勢では、「のれん」を贈る事もなくなりましたし、新品を作るのもためらってしまうような世の中です。
アベノミクス効果はいつ来るのでしょうか?
築地に来て品物を「目利き」してから買い求める買出し人の数も減ってしまいました。ファックスや、メールの注文が主流になって来て便利になりましたが、どこか寂しい気がします。
流通も、宅配や冷凍、冷蔵技術の進歩により、市場を介さない流れも多くなっていますから、止むを得ない事なのかもしれません。
それでも、秋は「旬の素材」が多く出回る季節です。「旬」はやはり「旬」です。
季節の変わり目を感じながら「のれん」も掛け替えて見ては如何でしょうか?
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