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2013年9月12日 (木)

中央区立「第一中学校」 と通学路

小生が中学の時には、「第一中学校」という、どこの区にもあるナンバー校のひとつでした。 通称、中央一中。

今では、「銀座中学校」(銀中!)です。

所在地は中央区銀座8丁目です。

S56_no1

昭和56年(1981)の「第一中学校」

屋上庭園が懐かしい。  (中央区フォトギャラリーより)

 

現在の銀座中学校は土地も広くなり、校庭も「一中」時代の一周80mしかないトラックとは違って、見違えるような新しい銀座の中学校になりました。

2

開校当時の銀座中学校。  (中央区フォトギャラリーより)


当時も、中央区には中学校が4校しか無く、

 

S56_no2

第一中学校時代。校庭は狭く、コンクリート敷きで、運動が思い切りできる様な環境ではありませんでした。  (中央区フォトギャラリーより)

小生が通っていた頃は

「第一中学校」が今の「銀座中学校」

「第二中学校」が廃校になってしまった、元の「文海中学校」 (銀中と統廃合)

「第三中学校」が今の、「晴海中学校」

「第四中学校」が今の、「日本橋中学校」でした。

現在は、「佃中学校」が新設されて、4校体制は続いております。

築地から通っていましたので、晴海通りを、銀座方面に向かい、南海ビル(いわて銀河プラザのビル)を左に曲がり、東急ホテル、日産本社、新橋演舞場の脇を通って通学していました。

Photo_2

築地「松竹セントラル」前から見た東急ホテル (今の時事通信社)

(京橋図書館資料より)

東劇の向かいの「松竹セントラル」には、「マカロニウェスタン」系の映画から、ブルース・リー主演の映画に変って行く頃で、正面には、「ヌンチャク」を持ったブルース・リーの大看板が町を飾っておりました。

東劇ビルもまだ建て替えられておらず、こげ茶色の煉瓦積みの威風堂々とした建物に映画の看板が所狭しと飾られておりました。

S41817

昭和41年(1966) 昔の東劇ビル  (中央区フォトギャラリーより)

新橋演舞場も古い建物で、日産本社(今の読売新聞社)には、高級車は勿論、あこがれのスポーツカー(今はほとんど死語)の新型車も飾られていました。

日産に勢いのあった時代(小生の感想です)で、プリンス自動車と合併してからの、スカイラインGTR(箱スカ)からケンメリに変って行った時代でした。

そんなに車に興味が無くても「ケンメリ」のハードトップはカッコ良かったです。

フェアレディ―Zやブルーバードもカッコよかったです。排ガス規制直前の車は、今思うと、裸馬みたいな感じに思えます。

コンピュータ制御など無く、知識があればエンジンの味付けや足回りの強化が出来た時代でした。(車検は通りませんが)

日産を過ぎると、歩道が無くなり、料亭街は人力車もまだ多く、子供心にも粋な風情が感じられました。

学校には、屋上庭園がありましたが、手入れはあまり行き届いていないようで、雑草庭園みたいな感じでした。校歌の歌詞にも歌われていましたが、あまり綺麗な印象は残っていません。

当時、中央区では、年に一度、学校対抗の陸上競技大会の様な行事があり、小生が通っていた間に、一度だけ国立競技場で行われた事がありました。

400mトラックが広く感じ、タータン舗装で柔らかく、とても走り易かったです。

一中がコンクリートの校庭でしたから、なおさらです。

2000m走に出たのですが6位入賞で、電光掲示板に自分の名前が、アルファベットで表示されたのは感激でした。

夏の終わりには、浜町プールで区内中学校対抗の水泳大会があり、夏休みの後半から、水泳の上手い子や、運動部の選抜者は、自分のクラブを休んで、毎日水泳の特訓をしておりました。

大会前の数日は、毎日2~3km位は泳いでいたと思います。

おかげで、小生が通っていた頃は「一中」は強かったと思います。(自信過剰?)

当時の浜町プールは露天で、水が冷たく、慣れるまで時間がかかりました。

中学校は1学年3クラスで、みんな仲がよく、なぜか小生の学年だけ、卒業アルバムと修学旅行アルバムの2冊があります。理由は分かりませんが、みんなでそう希望したからなのでしょうか?

まだ、西銀座方面からも通学して来ていた友人も数人いましたが、今ではどうなのでしょうか?

銀座の泰明小学校は現在でもありますが、学区域からの生徒は皆無に近いと思います。

そんな「第一中学校」も新校舎に生まれ変わり、体育館も素晴らしく、プールも屋上に作られ、環境は著しく良くなりました。

S59

銀座中学校。昭和59年(1984)  

(中央区フォトギャラリーより)

しかし、中央区の人口の減少は収まったものの、私立中学に進学する割合が高くなり、この施設の規模が就学生の数に対して、スペースを持て余している感が強く感じられます。なかなか、難しい事ですね。

日本橋中学校は、吹奏楽が盛んで、全国大会の常連校にもなっているので、京橋地区からも多くの生徒が通うようになりました。

何年か前には、吹奏楽部の生徒たちが、NHKの紅白歌合戦にも出演しておりました。

同じ区内でも、通う学校をある程度、選択できるようになってきたので、友人の交際範囲は広くなっています。

月島、勝どき、佃、晴海地区などはまだ、大規模な住宅が建ち、人口が増えてくると予想されますので、インフラさえ整備されれば、この銀中の規模はそれを吸収できるのではないかと思います。

行政マンの立場になったみたいな内容になってしまいましたが、都心にある学校は、色々と大変だと思いますが、明るい校風は続いて行って欲しいと思います。

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コメント

こんにちは。息子が銀座中学校に通っています。
私が中学生の頃は、一中だったよなぁ・・・と、検索してこのページにたどり着きました。

四中は名前だけ変わって、校舎はそのまま、校庭も狭いままですが、あのロケーションにしては、銀中は校庭がすばらしいです。
(公式戦は無理ですが)サッカーの練習試合が出来る広さです。

区の連合陸上大会や、連合水泳大会は現在もあります。
陸上は今年は、銀中の圧勝だったそうです(笑)

OliviaVIIIさま、コメントありがとうございます。

私の子供達も銀中の卒業生です。
このごろは、吹奏楽がしたくてこの地域の子供達も日本橋中に通う子が多くなりました。

たしか陸上部はそんなに歴史が古くないと思います。
ウチの子供が通っていた頃にできた様でまだ10年は立っていないと思いますが、区内では強いのですね。
都大会レベルになって欲しいものです。

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