「地下鉄 日比谷線」
今は、「東京メトロ」の愛称で知られていますが、開業当時は「帝都高速度交通営団」、略して「営団地下鉄」が運営する路線でした。
当初は”S”をデザインしたマークでした。
営団地下鉄のマーク。(恵比寿駅) (Wikipediaより)
メトロに変ってからは”M”をデザインしたマークに変更されました。
現在の東京メトロのマーク
日比谷線は、まず昭和36年(1961)南千住 - 仲御徒町間(3.7km)が開業し、その後次第に延伸し、昭和38年(1963)2月28日に人形町ー東銀座間が開業しました。もう、50年も昔の事です。
この時に「築地駅」もオープンしました。
昭和38年2月27日の「東銀座駅」での開業式。
(中央区フォトギャラリーより)
「マッコウクジラ」とあだ名された、ステンレス製の3000系電車が走り出しました。
その後昭和39年(1964)8月29日に、北千住ー中目黒間が、東京オリンピックの直前に全線開通しました。
「次は~ 築地、築地、本願寺前です。」と言う車内アナウンスを聞かれた事があるでしょう。
これは「築地駅」の市場側の出入り口が、敷地の一部を本願寺から提供され、それに営団が配慮して、このようなアナウンスになっているそうです。
築地と東銀座の間は、線路が急角度の90度カーブになっていますね。
また、電車の長さも、少し短く3ドア車が使われています。(普通は4ドア)
昭和38年2月27日 神職がお祓いをしているのが珍しい。
(中央区フォトギャラリーより)
これは上の道路の形に沿って路線の計画がたてられたので、また東京オリンピックに間に合わせる為の、苦肉の策だとも言われています。
また、昭和38年2月27日には「都営1号線」、”現、都営浅草線”の人形町ー東銀座間も同時に開業し、乗り換えが出来るようになりました。
東銀座。昭和通り沿いの、地下鉄の出入り口。
歩道の敷石が懐かしい。 (中央区フォトギャラリーより)
2020年の東京オリンピック開催が決定しましたが、50年前のオリンピック前も、このように突貫工事で色々なインフラが整えられていった時代だったのですね。
今度は、2020年に向けて、その日比谷線を、東銀座から晴海通りの下を延伸し、晴海地区の選手村のアクセスとして役立たせ、豊洲新市場、有明、お台場、大田市場、そして羽田空港まで延ばしていったら、地上の渋滞は起こらないような気がしますし、結構面白いかもしれません。臨海線と結べば、成田空港とのアクセスも良くなります。
どちらにしても晴海地区の交通インフラの整備は、オリンピックに向けての、喫緊の課題になると思います。
勝手な構想ですが、こんな事が現実になったら、ワクワクしますね!
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