中央区立「館山臨海学園」
以前、「館山の遠泳」という題で、昔の遠泳の事を書きましたが、中央区には千葉館山の大賀(おおか)という所に「館山臨海学園」と言う、小学校の臨海学校を行なう施設が6年前までありました。
館山臨海学園の入り口 (中央区フォトギャラリーより)
東京から、まだ館山が遠かった頃、バスで5~6時間くらいかけて、出掛けていました。(今では、アクアラインが開通して、2時間あれば到着します。)
当時の築地小学校は、静岡の宇佐美学園からの伝統になっていた遠泳がありましたので、5,6年の2年間行っていました。今も同じ、2年間です。
小生が行った頃は、まだ施設が新しく、古い「柏学園」と比べて、とても綺麗に感じました。
青い海をバックに、白い宿舎が綺麗に感じました。
(中央区フォトギャラリーより)
当時は、「香(こうやつ)海水浴場」と言う所で遠泳をしていましたが、潮の流れの関係で、次第にここの砂が減少してしまい、「海水浴場」としての館山市の指定が解除されてしまったそうです。
香(こうやつ)海水浴場。 (中央区フォトギャラリーより)
近くには、「大賀(おおか)海水浴場」もありますが、小規模なので、遠泳には使えなかったそうです。海上自衛隊館山基地のそばにも「沖ノ島海水浴場」があるのですが、海自の施設を通って行く訳には行かないので、今の「北条海岸」に変ったそうです。
館山臨海学園は、昭和43年(1968)にできた施設だそうですが、15年ほど前に宿泊した時は、さほど古い感じはしませんでした。
夏季を除けば一般にも利用できた時期があり、子供がまだ小さい頃、イチゴ狩りや花摘みに出かけた時に、利用させてもらいました。
学園の全景。 (中央区フォトギャラリーより)
しかし、耐震性や、老朽化の問題もあり、また、海水浴場の変更もしなければならなくなり、閉鎖する事になったそうです。
小生がPTAでお手伝いをしていた頃に、丁度施設が変わる頃でした。
京橋築地小学校の生徒たちは、夏休みに入ると、目標の遠泳時間に合わせて、プールで猛練習をしています。
本番で、5年生の時にダメでも、もう1年あるので、次は完泳できるように頑張って練習もしますし、達成感を味わえるのが、何といっても一番の醍醐味だと思います。
北条海岸に「遠泳」の場所が変わった時、最初は宿泊施設がみんな一緒ではなく、数件の民宿に分宿していたようですが、宿での食事のグレードがばらばらで、子供達の間では、すぐにそれが話題となり、翌年からは、海岸近くのホテルに全員一緒に宿泊するようになったそうです。
なかなか、大人数ですと民間施設を利用することを考えると難しい問題でもありますね。
今の「北条海岸」は海水浴場としては、規模も大きく、なにより、見通しがよく、天気が良ければ、富士山が遠望できます。
「夏の海」の典型の様な所で、遠泳には良い場所ですが、京橋築地小学校は、人数が多いので、荷物を置いたりするスペースの確保や、海岸で待っている子供達の遊びをさせるのも大変なようです。
以前の内容と重複しますが、このような行事を行う上で、親御さんの理解は勿論、地元、館山市の長い間の協力と、中央区、漁協の方たち、PTA役員、ボランティア、そして何より京橋築地小学校の先生方の、伝統行事を安全に行うという、使命と努力のおかげで、今まで事故無く続いているのだと思います。
施設が変わっても、半世紀以上続いている「遠泳」は、長く京橋築地小学校の「伝統行事」として、これからも無事故で続いて行って欲しいと思います。
« 「三原橋」と「三十間掘川」 | トップページ | 「神輿」が帰ってきた! »
「昔のこと」カテゴリの記事
- 「半世紀前の小田原町」(2014.10.21)
- 「オリンピックから50年」(2014.10.10)
- 市場の「遊技場」(2014.04.24)
- 「築地精養軒」(2013.10.31)
- 「京橋区の古地図」(2013.10.26)
そうなんですね!閉鎖したとは知りませんでした。
ぜひぜひぜひ、続けてほしい伝統ですね!
一卒業生として、そう思います。
投稿: sai | 2013年9月18日 (水) 15時40分
saiさま、いつもコメントありがとうございます。
今まで、関係者の努力によって、無事故でこれたからこそ、続いて来ているのだと思います。
これからも、続いていって欲しいと思います。
投稿: 築地 魚がし 小田原町 | 2013年9月23日 (月) 02時30分