「東京高速道路」
「首都高速道路」ではありません。数寄屋橋の上を走っている道路の事です。
「ギンザ9」や「GINZA INZ」,「西銀座デパート」などの上を走っていて、この区間は無料区間になっています。
右が「東京高速道路」。スクランブル交差点は数寄屋橋。
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「首都高速道路」ではありません。数寄屋橋の上を走っている道路の事です。
「ギンザ9」や「GINZA INZ」,「西銀座デパート」などの上を走っていて、この区間は無料区間になっています。
右が「東京高速道路」。スクランブル交差点は数寄屋橋。
永代橋は、両国橋と並んで、江戸幕府にとって重要な橋でした。
江戸三大祭と謳われた大きい祭とは、神田神社、日枝神社それと深川、富岡八幡宮の祭になりますが、深川へ行くには永代橋を渡らなければなりませんでした。
現在の「永代橋」
このブログを始めるにあたって、最初は興味本位で始めましたが、なかなか私には難しい事が分かり、年に一度くらいの更新をしておりました。
今年の3月に、なぜか思い立ち、200号迄はなるべく毎日更新してみようと、目標を決めました。
パレードと言うと「東京ディズニーランド」の煌びやかなパレードを想像されるでしょうが、今から45年前の昭和43年(1968)から、銀座通りでも夜のパレードが行なわれておりました。
銀座4丁目交差点、昭和43年(1968)10月。
第一回「大銀座まつり」
(中央区フォトギャラリーより)
「戸隠神社」は長野県にあり、遠く神世の「天の岩戸伝説」を興りとして、2千年程の歴史がある神社です。
「戸隠山」を「天の岩戸」と見立て、それに関係する神々を御祭神としています。
戸隠神社の奥社へ向かう途中の「随神門」。
まっすぐ伸びた参道には、杉の大木が立ち並び、「霊山」としての空気が感じられる。
小生の町会の神輿は、大人神輿、子供用の中神輿、小神輿、の3基と、担ぐ事が出来るようになっている、雌雄一対の獅子頭とを合わせて、5基あります。
先日、祭礼の後に、修理に出していた「中神輿」が「神輿屋」から帰ってきました。
修理が終わって、帰ってきた「中神輿」。
以前、「館山の遠泳」という題で、昔の遠泳の事を書きましたが、中央区には千葉館山の大賀(おおか)という所に「館山臨海学園」と言う、小学校の臨海学校を行なう施設が6年前までありました。
館山臨海学園の入り口 (中央区フォトギャラリーより)
三原橋と言うと、「交番」が思い浮かぶ世代ですが、戦後まで、ここに「三十間堀」があって、川が流れていました。
ですから、ここに架かっていた橋が、「三原橋」だったのです。
ありし頃の三原橋。 (京橋図書館資料より)
平成32年(2020)の、東京オリンピック開催が決定し、”立候補都市”から、正式に、”開催都市”となりました。
招致を応援しようと、区役所から町会にバッチが配られていた物で、ひとつもらって来ていました。
まだ、日本全体が招致に向けて、盛り上がる前の頃でした。
「CANDIDATE CITY」と書いてあります。
昨日、久しぶりに市場の中で、「ふれ太鼓」を見ました。
大相撲が東京で開催される、年に3回、初日の前日に、国技館での土俵祭りが終わった後に、ごひいきさんの所を廻って、太鼓をたたいて、興行開催を知らせる行事です。つまり「御触れ」の意味があるのです。
仲卸の店で「ふれ太鼓」をした後に、次の場所に移動する。
小生が中学の時には、「第一中学校」という、どこの区にもあるナンバー校のひとつでした。 通称、中央一中。
今では、「銀座中学校」(銀中!)です。
所在地は中央区銀座8丁目です。
昭和56年(1981)の「第一中学校」
屋上庭園が懐かしい。 (中央区フォトギャラリーより)
「晴海埠頭」は戦後、本格的に開発が始まりました。
昭和30年代には、子供ドラマ(ナショナルキッドor少年ジェット?)などの撮影地にもなっていました。
休日には、のんびりと「波止場」の雰囲気を楽しみに訪れる人も多くいました。
我々兄弟は、父によく連れて行ってもらいました。
晴海から豊洲の東京ガスの工場を臨む。
(京橋図書館資料より)
今は、「東京メトロ」の愛称で知られていますが、開業当時は「帝都高速度交通営団」、略して「営団地下鉄」が運営する路線でした。
当初は”S”をデザインしたマークでした。
営団地下鉄のマーク。(恵比寿駅) (Wikipediaより)
メトロに変ってからは”M”をデザインしたマークに変更されました。
現在の東京メトロのマーク
日比谷線は、まず昭和36年(1961)南千住 - 仲御徒町間(3.7km)が開業し、その後次第に延伸し、昭和38年(1963)2月28日に人形町ー東銀座間が開業しました。もう、50年も昔の事です。
この時に「築地駅」もオープンしました。
昭和38年2月27日の「東銀座駅」での開業式。
(中央区フォトギャラリーより)
都電36系統は昭和46(1971)年3月17日に廃止されるまで、築地と錦糸堀(今の、錦糸町駅前)を結んでいた都電でした。
末期の36系統。終点「築地」の停留所。
ここで折り返すので、行き先の方向幕は「水天宮錦糸堀」
今の平成通り「植むら」前。 (中央区フォトギャラリーより)
今年の夏は、例年になく気候の異常や自然災害の多い年でした、
東北や北陸の遅い梅雨明け、山陰の豪雨災害、熱中症に水不足、最高気温の更新、少ない台風、埼玉や千葉の竜巻被害と、数えただけでも全国に広範囲に渡っています。
8月下旬の「百日紅」”サルスベリ” あかつき公園にて
「柏学園」には朝海幼稚園の頃から、「いも掘り」に行っておりました。
今から半世紀近く前の事です。
旧、柏学園。右が体育館。中央が宿泊棟。左が食堂。
道が未舗装。 昭和42年(1967) (中央区フォトギャラリーより)
地元、築地にある「中央区立京橋築地小学校」は「京橋小学校」と「築地小学校」が合併してできた小学校です。
今の場所(旧、築地小学校)で開校して、20年余りになります。
銀座1丁目にあった「旧、京橋小学校」 昭和30年代。
こちらの跡地は、区営の住宅が建っています。
(京橋図書館資料より)
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