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2013年8月23日 (金)

「京橋」 その1

「京橋」は京橋川に架かっていた「橋」で、東海道で日本橋を出発してから、最初に渡る橋でした。

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名所江戸百景 「京橋 竹河岸(たけがし)」 歌川広重

                  (Wikipediaより)

「京橋」は「日本橋」と並んで、かつて「京橋区」と「日本橋区」を合併して「中央区」を名乗るようになった「中央区」にとっても、重要な「名前」であり「橋」でした。

「京橋」の碑文には、慶長期にはもう架かっていて、明暦の大火の後に架けかえられたという事です。当然、木造です。

明治5年(1872)4月3日(西暦) 午後3時頃、和田蔵門内の旧、会津藩屋敷より出火、折からの風にあおられて、丸の内、京橋、銀座、新富、築地方面の全てを焼失する大火事が起こりました。(銀座大火)

築地本願寺や、できたばかりの築地ホテル館なども焼失し、隅田川河畔でようやく午後10時頃に収まったという、焼失戸数およそ5000戸にせまる大火事だったそうです。

まだ月島は埋め立てられる前でしたので、築地が海に面していたので、もう燃える場所はありませんでした。

Photo_3

築地ホテル館 (京橋図書館資料より)

明治政府は、開業間近の近代日本の象徴としての鉄道 (同年10月14日開業) の玄関となる新橋駅近くの新橋から京橋の間の中央通り(銀座通り)を耐火性の強い煉瓦街にするという構想で、国家予算まで使って、復興をすぐに開始しました。

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江戸東京博物館に再現された、煉瓦街の模型。

(Wikipediaより)

その北側の京橋川に明治8年、「京橋」が架けられました。

今は京橋川は埋め立てられ、その時の石造りの親柱が残っています。

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銀座大火の後、石造りで架けられた「京橋」の親柱。

これをきっかけに「銀座」が、「モダンな街」として発展することとなりました。

「銀座煉瓦通」とも呼ばれ、2階建ての建物が並び、「ガス灯」も設置されました。

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京橋跡にある「ガス灯」(復刻されたもの)

馬車鉄道も複線で敷設され、近代日本の表玄関にふさわしい街が造られて行きました。

1900

(京橋図書館資料より)

明治33年(1900)には京橋際に「自電話ボックス」も設置され、華やかな街になって行きました。

日露戦争に勝った時には、京橋と新橋にそれぞれ凱旋門まで作って、戦勝を祝ったそうです。明治38年(1905)

M000238001

(京橋図書館資料より)

京橋の凱旋門は、その当時作られた中でも最も大きく、高さは16メートルもあったそうです。

Photo

(京橋図書館資料より)

こちらは新橋駅(旧、国鉄汐留駅)の駅頭に作られた凱旋門。

いかに明治政府や東京府が「銀座」を日本の近代化の先駆としてとらえていたかが分かります。                            (つづく)

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