「玉姫神社」
「玉姫稲荷神社」の創建は、天平宝字四年(760)と言う説と、正慶二年(1333)新田義貞が鎌倉の北条高時追討の際に戦勝祈願し、空海直筆とされる「稲荷の像」を瑠璃の宝塔に納め、それから「玉秘め」→「玉姫」の名がついてからと言う説があるそうです。
吉原の大火、関東大震災、東京大空襲で社殿も含め全焼し、今の社殿は昭和27年に再建されました。
ここの境内には摂社の「口入(くちいれ)稲荷神社」があります。
口入れとは、江戸時代の”職安”みたいなもので、元は新吉原の高田屋という口入れ屋に祀られていた「稲荷社」を、安永年間(1772~81)高田屋の主人が夢枕でお告げを受け、玉姫稲荷の境内に遷座したということです。
ここは、商売繁盛や就職、求人、あるいは良縁祈願に御利益があり、商売繁盛・就職・求人あるいは合格祈願の人は、羽織を着た立ち姿の「お狐さま」を一体拝受し、また良縁を祈願する人は、裃を着た座り姿の「お狐さま」を拝受し自宅に置いて祈願し、願いが叶えば、もう一体、願いに応じた同じ「お狐さま」を拝受し、雌雄一対にして神社に納めるといいます。
「お狐さま」の像は、素朴な土人形で、御利益がありそうです。
高度経済成長期には近くに「山谷」の労務者の簡易宿泊所が多くあり、治安も悪かった時期がありましたが、今は却って安価な宿に「外国人の観光客」が多数宿泊しているそうです。
交通の便も、観光地「浅草」に行くのも近いので、頷けます。
この周辺は、由来の古い神社が本当に多く鎮座しています。
あまり観光地化されていない所を訪ねるのも、また一興かもしれませんね。
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