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2013年8月30日 (金)

「新橋」

駅名の「新橋」ではありません。てんぷら天國(てんくに)の南側の、高速のガード下にあった橋の名前です。

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新橋の親柱に残る「新橋」の銘板

今はギンザ9(ナイン)の下になり、新橋駅からも少し離れているので、橋の存在も忘れられてしまっている様な感じですが、以前は汐留川が流れていました。

1957

汐留側から銀座8丁目方向を見る。

             (京橋図書館資料より)

新橋は宝永7年(1710)に架けられた橋ですが、架橋後すぐに「芝口御門橋」(しばぐちごもんばし)と改称されましたが、芝口御門が焼失し、再建されなかった為に再び「新橋」と改称されました。

江戸時代は、銀座側をおもに「新橋」と呼んでいたそうですが、明治になり、鉄道が開通してからは、新橋駅側をおもに「新橋」と呼ぶようになったそうです。

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現在の「新橋」跡

「新橋」というと、駅の他には「新橋芸者」、「新橋色」などの言葉が浮かびます。

幕末頃から、銀座8丁目の金春通りあたりで稽古に熱心な、新興の「新橋芸者」達が戦後にかけて「柳橋」と並び一世を風靡しました。

その「新橋芸者」が好んで着た着物の色が「新橋色」です。

「新橋色」は薄い水色を少し緑っぽくしたような明るい色です。

新橋は京橋との間に銀座通り(中央通り)があり、銀座の大火の後に煉瓦街ができ、鉄道馬車も新橋ステーションから日本橋まで開業して日本の文明開化の象徴となりました。

Photo

鉄道馬車が「新橋」を渡る  (京橋図書館資料より)


Photo_2

大正期の「新橋」   (京橋図書館資料より)


戦後、昭和30年代からは、歌謡曲にも歌われ、昭和43年から「光のパレード」も行われて、「銀座」は地方の人があこがれる町になりました。

今は親柱だけが残り、京橋より目立たないですが、付近には銀座の柳二世も繁華な往時の名残りを留めています。

2013_018

銀座の柳二世

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「新橋」の親柱

今は外国人観光客の観光バスの待ち合わせ場所になっていて、時間によって多くの外国人で賑わっています。

「新橋」の最初はここ!と言う事を覚えておいてほしい物です。

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